冬のロシア⑤サンクトペテルブルク散策とレニングラード解放75周年

1月13日 、真冬のロシア一人旅5日目、サンクトペテルブルク4日目は、中心部から西のエリアを回る。イサク聖堂、宮殿広場前では、レニングラード封鎖解除75周年のイベントを見学、そして凍るネヴァ川の向こうのペトロパヴロフスク要塞へと向かう。


朝5時に目覚めるが、日の出までまだ5時間近くある。 のんびりと朝ごはんで食べたのは、昨日スーパーで適当に手に取ったピロシキ。何の味か食べればわかるだろう、と食べてみたが、食べても何の味かわからん。。。 Google翻訳でカメラを使ったテキスト翻訳で調べてみた。

なんじゃろか・・・

ねぎ・・・なのか?!

もう一つ買ったピロシキは・・・「キノコのポケットパフ、ロシアと」

うむ。

謎のスナック菓子も調べてみた。 Google先生は「小麦 味 ライブオンザグリル」とおっしゃる。クリエイティブに考えるとバーベキュー味ってことか?

むむむ。。。

ラスクのようにカリッとしたパンにスパイシーな肉っぽい味付け。なかなかうまい。

・・・と遊んでいるうちに、窓の外が薄明るくなってきた。


日の出時間の10分前、9:40に出発。まだ夜明け前の空の色。これからネフスキー大通りの建物を見ながらに西に向かって歩いていく。

モデルン建築、1903年建築のエリセーエフスキー
アレクサンドリンスキー劇場前のエカテリーナ二世像

途中ゴスチーヌイ・ドヴォールという百貨店の前を通る。1785年に建築された百貨店だそうだが、お店や品ぞろえは・・・高級感はあるのだが、時期的に活気がないからなのか、個人的にはあまり欲しいと思えるものがない。。。

ゴスチーヌイ・ドヴォール百貨店のクリスマスツリー 
キャビア屋さんの水槽には小さなチョウザメ

百貨店の前には、誰も気に留められず、孤立するチェブラーシカとゲーナが・・・。

さむかろう・・・ つらかろう・・・。

哀愁のチェブラーシカ

こちらはゴスチーヌイドヴォールの隣にある1806年の建造物で、本当は細長い商店街だったのが、メトロ建設のために、正面だけ残して取り壊してしもうたんやと。なんとも合理的というか、不思議な歴史的建造物の保存方法。

ポールチク

こちらは1782年建築の聖キャサリーンカトリック教会。バロック様式からクラシック様式へと移行するころの建築で、二つの様式が交ざった建築物。

聖キャサリーンカトリック教会
1903年建築のシンガー社、ドム・クニーギ

そうだ。サンクトペテルブルク初日にすべってコケた現場だ。

血の上の救世主教会
カザン大聖堂
1912年建築、クラッシック洋式のメルテンス毛皮店

ネフスキー大通りの終点は、エルミタージュ美術館冬宮がある宮殿広場。と、ゴージャス本当に美しいヨーロッパの街並み。

左に曲がってさらに進む。

旧海軍省

金色の尖塔が印象的な旧海軍省を通り過ぎると、右手に大きな聖堂が見えてくる。こちらはイサク聖堂。 1858年に完成した世界で最も大きな教会建築の一つ 。

旧海軍省側の広い道路に面している方が入り口かと思いきや、こちらは出口側 。チケット売り場はこの大きな道路から見て左手。聖堂内に入るチケットは350ルーブル、展望台が200ルーブル(2019年1月)と別売り。チケットを買ったら、旧海軍省側の 広い 道路とは反対側に入口がある。

大きな道路の反対側が入口 チケット売り場は入り口から向かって右手

1710年に初代の木造教会が建てられ、この建物は4代目。元々沼地であったサンクトペテルブルクにこのような大きな建造物を建てるため、 40年もの歳月が費やされた。何万本もの杭を打ち込ちこみ、その上に花崗岩や石灰岩が敷き詰められている。 煉瓦造りで、外壁は花崗岩。独ソ戦のレニングラード包囲戦で、ドイツ軍に、この黄金のドームが標的とならないよう、このドームを灰色に塗り直したこともあったそうだ。

まずは聖堂内に入る。

ロシア正教会なので十字架ではなく、イコノスタス(聖所と至聖所を区切る壁)があり、 緑の孔雀石、中央は青い青金石、つまりラピスラズリの柱で彩られている。

イコノスタスのラピスラズリの柱の奥が至聖所
緑は孔雀石の石柱

どこを撮影しても絵葉書のような美しさ。

そして聖堂の外に出て、階段を登って屋上へ。サンクトペテルブルクの街並が一望できる。

血の上の救世主教会
旧海軍省
エルミタージュ美術館 冬宮

遠くに幻のようにみえるクリスタルのタワーは、ラフタセンター。462m、ロシア、ヨーロッパで最も高い高層ビルで、まだオープンしておらず、現在仕上げ段階だそうな。

ラフタセンター

街中のビルで、屋根の雪かきをしているのを見かける。バランス感覚のない私には見てるだけでも鳥肌。

展望台を降り、大聖堂の大きな通りの反対側の広場のベンチにて。

そういえば、まだ食べてなかった!もう一つのピロシキをかじる。「キノコのポケットパフ、ロシアと」

これだけでは足りない。と、ドーナツを食べに行く。Пышечная(ピシェチナヤ)という立ち食いドーナツ屋さんへ。

お店には「Пышки」と表記されている

地元の人に大人気なお店。たくさんの人で、カメラも曇るほどのエラい熱気。メニューはドーナツ、飲み物はソフトドリンクとカフェオレのみ。

コーヒーは既にミルクと砂糖入りでブラックはなし、砂糖なしもできない。とにかく暖かいコーヒー牛乳なのだ。しかしこれがふわふわで甘すぎないドーナツとちょうどええねん。

みんな大量のドーナツを食べている。 私は3つだけしか頼まなかったが、あっというまに食べてしまった。

▼ピシェチナヤの場所はこちら

途中で宮殿広場に通りかかると、何やら人がたくさんいて、お祭りでもやってる雰囲気だった。覗いてみたら、何やらミリタリーフェアーのような様子。

サンクトペテルブルクは、旧ソ連時代はレニングラードと呼ばれていた。このイベントは、「レニングラード解放75周年」のイベント。

1941から44年にナチス・ドイツ軍は900日近くレニングラードを包囲した。諸説あるが、当時67万人から110万人の市民の命が犠牲となったと言われる。当時のレニングラードはソ連の第二の都市で、最大の兵器生産地、多くの工場、またソ連の発電所設備の8割をもち、バルト艦隊のベース地といった様々な重要なポイントが集結していたため、ドイツ、ヒトラーにとって、レニングラードを占領することは作戦の最優先目標となった。ドイツはレニングラードの住民の生活能力を断つため、この地のインフラや食料倉庫を砲撃した。この結果、食料源を失ったレニングラードに飢餓が訪れ、冬にはマイナス20℃以下となるこの地は死体で溢れた。革製品など日用品で食べられるものなら何でも食べ、究極には死体から人肉を食べざるを得ないほどまでに至るという悲惨な状況になる。この約900日間の非人道的なドイツの包囲、攻撃に、市民は抵抗し耐え抜いていく中、やがて戦争はソ連側が優勢となり、1944年1月27日、レニングラードは872日間の包囲から解放された。

サンクトペテルブルクの北東に、ラドガ湖というヨーロッパ最大の湖がある。包囲で苦しむ市民を助けるために、軍用車両が、秋から春にかけて凍るラドガ湖を危険を伴いながらも氷上を渡ってレニングラードに食料を運び込み、復路で市民を疎開させようとしていた。

この日のイベントではその時の軍用車両が終結していた。

当時の武器などを興味深そうに手に持つ大人や子供。目の前にはとても楽しそうそうな光景が広がっている。

当時を再現して、おかゆを無料で配給。たくさんの人が並んでいた。

歌声が聞こえてきたので、そちらに向かうと、コンサートが開かれていた。トラックの荷台で4人の男女が歌っている。私には歌詞の意味は全くわからない。しかし涙を流しながら彼らの歌を聞いている人がたくさんいて、それが全てを物語っていた。

75年経ち、今も悲しみは残りつつも、この苦境に耐え抜いたことが今もサンクトペテルブルク市民の誇りとなっている。たまたま通りがかったのだが、ロシアの感情の一つを垣間見ることができるイベントだった。

宮殿広場を後にし、ペトロパヴロフスク要塞がある うさぎ島へ向かう。

宮殿橋を渡ると、ストリェールカというヴァシリエフスキー島の岬がある。ロストラの灯台柱という赤い円柱が見える。ロストラは船の前の部分、船首を意味し、敵の船首を切り落として、勝利を記念する飾りとする古代ローマの習慣に由来する。

ロストラの灯台柱

レニングラードが包囲されていたころは、大きなラドガ湖の氷上を軍用車が渡り、物資を運んできたわけだが、目の前にあるネヴァ川も現在凍っており、その向こうに目的地のペトロパヴロフスク要塞が見える。

どうやら歩いて川を渡っている人がいるように見えるのだが・・・。

ここって川よね???

降りてみた。

凍るネヴァ川の川面から見る冬宮、エルミタージュ美術館。

こういった氷上を見ると、わしゃどうしても1978年のカルト的ホラー映画「オーメン2」のアイスホッケーのシーンを思い出してしまうのだ。

子供がホッケーをしているとき、氷上の穴に落ちる。子供は穴にはまってでられなくなり、子供が氷の下に生き埋めになるっつうシーン。透明の氷の下でもがく子供・・・こええええええええ!!!!

でも、ここから向こうの島に渡ってみたい!

と、思ったら、ホバークラフトが、川の上の人たちを追って来た。みんな急いで岸に戻ってくる。「やっぱアカンねんな?そやんな?ヤバい!」と思い私も急いで引き返したのだが。。。しかし一体なんやったんや。。。

氷上ショートカットはあきらめて、歩道を歩くことにした。

川は全て凍ってると思っていたが、こちらは水がたまっている。オーメン2。。。

しかし水面が空を反射して、水彩画のように美しい。

こちらの船は、レトゥチー・ゴルランデツ Летучий Голландецという名のレストラン。意味はフライングダッチマン。フライングダッチマンとは、近代イギリスの伝承に現れる幽霊船、またはその船長のオランダ人。しかしここは幽霊船ではなく、高級レストラン。ビーフストロガノフで1300ルーブル、約2145円、普通のレストランのおよそ2倍くらいのお値段。

レトゥチー・ゴルランデツ  Летучий Голландец Flying Dutchman

あっという間に夕日が差し込んできた。

そして、すっかり日が沈んでしまった。日が短いのと、更に凍る道を牛歩で歩いているので、一日が経つのがはやく感じる。

ペトロパヴロフスク要塞に辿りついた。

1703年、強国スウェーデンに対抗するため、ピョートル大帝によって、この島にペトロパブロフスク要塞の建設が始まり、サンクトペテルブルクの歴史もはじまる。当初は監獄として利用されていた。

ペトロパヴロフスク要塞

遠くからも目立つ金色の尖塔はペトロパヴロフスク聖堂。

10年をかけて建設、1733年に完成した教会。 ここはロマノフ王朝歴代の廟、ピョートル大帝以降の歴代の皇帝一族が埋葬されている。ピョートル大帝を尊敬していたエカテリーナ二世も眠っている。

17:30、外に出ると、あたりはもう真っ暗で、教会がライトアップされている。

先ほど通ってきた川沿いの風景も、ライトアップで一変していた。

どこまでも美しいサンクトペテルブルク。しかし腹減った。。。パンとドーナツしか食べてないやん。

雪の舞う中、今日のお食事処は、ごっつークラッシックな雰囲気のお店、ゴゴリ(Гоголь)というレストランへ。

ロシア産の赤ワインを頂く。
ロシア産ワインってめっちゃ稀少やん!やっぱ旅先では地酒やん!

ロシア産の赤ワイン、グラスで290ルーブル(約479円)

ピアノの上には鳥かごがあり、小鳥の鳴き声が聞こえる。小鳥の人形やと思ってたらほんものやった。そしてしばらくすると初老の男性ピアニストの生演奏が始まる。こちらもほんものやった。

まずはパンをつまみに。

英語メニューもあり、お店のスタッフさんもとても親切。

スープ、サーモンのほんのりした塩加減とコクがカリフララーの風味とマッチ。うめえ!

カリフラワーとサーモンのスープ 380ルーブル(約627円)

そして、ずっと食べてみたかったキエフ風カツレツを注文。

キエフ風カツレツ 720ルーブル(約1188円)

ざくっとナイフを入れると、じゅわ~~っと!

中にバターが仕込まれていて、サクサクの衣のカツに絡めていただく。なんとリッチな。ロシア料理めっちゃフクースーナ(Вкусный)!おいしい!

お水も含めて合計1570ルーブル(約2591円)。この雰囲気と味で、かなりお得感。

▼ゴゴリの場所はこちら

帰りはメトロで宿に戻る。アドミラルチェーイスカヤ(Адмиралтейская)駅内のモザイク画。どの駅もゴージャス。

夜のモスクワ駅。明日はここからモスクワへ出発なのだ。旅先での時間はほんま早く経ってしまう。