朝5:45、今日も鳥の声で目覚める。なんと健康的な。
食事も健康的な食事にと思い、一昨日買ったヨーグルトらしきものに見えるが、ヘブライ語なので自信がないブツを朝食に食す。
ああヨーグルトじゃなあい!ムースみたいな謎のデザートだった。一体何でできているのだ・・・。
出かけよう。路面電車でまずは旧市街へ。
昨日はあまりに沢山の人だったので奥に入るのを断念した聖墳墓教会に再トライ。
朝だからか入口から入って正面の「香油を注がれた石」の付近は昨日よりもすいているように見える。
入口左手の階段の上が混みあっているようなので、まずはそちらに並ぶ。
ここがイエスの十字架が建てられた「ゴルゴタの丘」があった場所とされている。祭壇の下は石灰岩の岩の頂上の部分がむき出しになっていて、その部分に触れ拝むことができる。この部分は地上から4.5mの高さになるそうだ。
聖墳墓教会は、各宗派毎に礼拝堂が分かれており、イエスの十字架がある華麗な装飾はギリシャ正教によるもの。
新約聖書に、弟子のイスカリオテのユダの裏切りを受けたイエスが、十字架に磔にされた場所がゴルゴタの丘と書かれており、諸説あるが聖墳墓教会のあるここだといわれている。
「Chapel of the Division of the Robe」は、マタイ27:35~36の「彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いて、その着物を分け、そこにすわってイエスの番をしていた。」にちなむ。
聖墳墓教会内の聖ヘレナ聖堂は、丁度修復されたばかり。ローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナは熱心なキリスト教徒で、326年に聖地を巡礼し、聖墳墓教会を含むたくさんの教会を建築した。そのヘレナを称えた聖堂。
奥の階段を降りると十字架の一部をヘレナが発見したとされる場所にある「十字架発見の聖堂」がある。
入口正面にある美しいモザイク画は右から左へと物語りが進んでいく。
イエスが十字架から降ろされる。
埋葬の準備をし、墓へと運ばれる。
そしてここ聖墳墓教会はイエスの墓とされている。
相変わらずイエスの墓は大行列ができていたので、後日再訪する予定。
イエスの死から遡り、これから行くのはイエスの生誕地、パレスチナのベツレヘムに向かう。ムスリム地区を抜けてダマスカス門からバス停へと向かう。
昨日オリーブ山から帰ってきたときに降りたバス停がベツレヘム行きのバスターミナルだと思い込み、「Sultan Suleiman Central Station」に向かう。乗る予定のバスは231番。しかしバスが見つからない。バス停に居たおっちゃんに尋ねると、ベツレヘム行きはこっちじゃないよ。と違う場所を案内してくれた。
正解はHaNevi'im Terminalというバスターミナルだった。路面電車ダマスカス門駅の近く。
エルサレムからベツレヘムへバスでいくには下記をご参考に。
エルサレムからベツレヘムへ、バスで日帰りで行ってきました。日帰りツアーもありますが、マイペースに行くなら、自分で路線バスで行くのがおすすめ!安いし簡単に行けますよ!行き方については、この記事を参考にしてください。エルサレムのバスタ[…]
行きはチェックポイント(検問所)はスルーだったので、 どこからパレスチナに入っているのかがさっぱりわかりにくいかった。が、いつの間にか外のお店の文字がヘブライからアラビア語に変わっている。
ベツレヘムのバス停、Bab El-Zakak/Beit Jala Roadで降りる。聖誕教会まで30分もかからない距離。色とりどりの商店街を抜けていく。
途中でガイドの客引きなどにも会うが、落ち着いて観たいので、とりあえず断る。
そして商店街を抜けて広場に出ると目の前にイエスの生誕地、降誕教会が広がる。
大きい教会やと思ったらエラい小さい入口やし!
謙虚のドア(Door of Humility)と言うんやそうな。
旧約聖書文書の一つミカ書5章1節に、ベツレヘムから将来のユダの指導者が出ると預言されている。しかしイエスの両親ヨセフとマリアはナザレに住んでおり、そこでマリアが受胎告知を受けているのだが、当時ローマ皇帝アウグストゥスは支配していた領土の人口調査を命じたため、二人はここベツレヘムに来なければならなかった。マリアは妊娠中だがそのとき宿を取ることができず、この地でイエスを産んだと言われている。
そしてそのイエスが生まれた場所というのが、奥の階段の下にある。狭いところにみんな入ろうとするので、もんのスゴ~い人・人・人。
銀色の星の形がはめられた場所が、イエスが生まれたとされる場所。この星は東方三博士がイエスを拝もうと星に導かれてベツレヘムにやってきたというその星をかたどったものだ。
祭壇の向いにあるのが飼葉桶があったところで、ここでイエスは眠っていた。
隣接する聖カテリナ教会はガラーンとしていたが、イエス生誕を描いたステンドグラスが美しい。
聖カテリーナ教会を出てすぐのところにある像は、ヒエロニムス。彼はヘブライ語の聖書をラテン語に翻訳するために、この教会の洞窟にこもっていはったそうな。彼のおかげでキリスト教が世界中に広まり、2000年以上も大きな影響を与え続いているわけだから本当にすごい人。日本的な言い方をすれば「翻訳の神」や。
ローマの婦人パウラの協力で翻訳を続けたが、彼女が亡くなった後、その彼女の骨をそばに置いて翻訳作業を続けはったそうな。なのでこの像の足元に髑髏が置いてある。
今はラマダン中なので、お水を飲むのも気が引けてしまうのだが、あまりに喉が渇いたので水を。。。あまりこの辺りで自販機は見なかったがので珍しく感じ思わず買ってしまう。冷たくてうまい。。。
聖誕教会を後に、目の前の立派な塔はウマル・モスク(Mosque of Omar )。ベツレヘム旧市街で唯一のモスク。現存の建物は1860年完成。モスクが建てられた土地は、ギリシャ正教会が提供した土地で。ベツレヘムではキリスト教とイスラム教が互いに平和に共存するという宗教的調和の象徴。
次の場所へ向かう聖誕教会から出てお土産屋さんが並ぶ左の小道を更に左へと曲がり進んでいく。
こちらはミルクグロットと呼ばれる教会。現在の建物は1892年に築かれたものだが、5世紀にはすでに元となる教会が建っていたそう。マリアがこの洞窟の中で生まれたばかりのイエスと一緒にいると、天使から聖ヨセフに「子供をエジプトに逃さなければならない」とお告げがあった。急ぐマリアの母乳が何滴か地面にこぼれ落ちた。すると赤かった地面が急にミルク色に染まったと言う。
ここに訪れた人は、競ってこの不思議な白いかけらを持ち帰ったそうな。そんな人は今はいないのかなっと思っていたら…
私がこの写真を撮影する前、ロシア人のカップルがいた。頭にスカーフを巻いたき本当にこのマリア像のようにキレイな女性はこの奥の洞窟の壁を触っていた。急に驚いたような嬉しそうな顔をしだした。ボロっと取れたカケラ、こっそりを持ち帰っていた。うふふ。。。
鐘の音を聞きながら小道を引き返し、再び市場を通りがかる。
市場のある通りから逸れると、雰囲気が変わっていく。
想像していたパレスチナのイメージと違う。どこにいるんだろう。。。不思議な雰囲気。
静かな旧市街から離れていくと、だんだん交通量が増えだして、中東的な雰囲気になってきた。ここに来たらどうしても見たいものがあった。
バンクシー!
旧市街から来ると見失いそう。振り返ると見つかった。バンクシーの防弾チョッキを着た平和のハト。
この作品から200mくらいの所に、イスラエルとパレスチナを隔てる分離壁が見えてくる。
VISIT PALESTINE、なんともクラッシクな暖かい絵なのに、メッセージを感じる。他の場所でもこの図柄を見かけており、気になったので調べてみた。以下要約する。
元ネタはオーストリア系ユダヤ人のフランツ・クラウス1936年の作品。クラウス氏はヒトラー、ナチが台頭する前にヨーロッパから脱出し、シオニストのために、ユダヤ人の聖地に移民を奨めるポスターを作製した。
1948年イスラエル建国後、イスラエルのユダヤ人の殆どは、ヨルダンと地中海の間の土地を「パレスチナ」と呼ばなくなった。このポスターは何十年も忘れられていたが、1990年代のオスロ合意の和平プロセスの中、テルアヴィヴのグラフィックデザイナーであり活動家のDavid Tartakoverがクラウス氏のポスターを復刻した。「共存への希望を現したものである」パレスチナのポスタープロジェクトアーカイブの創設者、キュレーターであるDan Walshは言う。
オスロ合意は膠着、占領に対しパレスチナ人は抵抗し、パレスチナはこのポスターを別の目的で掲げることになる。かつてはユダヤ人をパレスチナに誘うためのポスターが、パレスチナ人の権利を確認するためのもとなり、東エルサレム一帯、占領地にあるカフェや政府関係の建物に掲げられるようになった。多くのパレスチナ人や他の人々は、このポスターが本来はシオニスト、つまりイスラエル人の作品であるはずがないと考えた。というのも、パレスチナと言う言葉と、岩のドームの細やかな描写が強調されているからだ。しかしこの考えは間違っている。とWalsh氏。
このポスターは長年パレスチナの抵抗のシンボルとしてあり続けているが、その使われ方が、状況によって変わってきた。2009年のAmer Shomali氏の作品では、東エルサレムとウェストバンクを隔てる分離壁で、エルサレムの旧市街が見えなくなった絵に変えたものや、昨年はABCNTというアーティストがこのデザインに空爆をする戦闘機を書き加えた作品に変えている。今後状況が悪化すれば、このアイコン的ポスターに更なる改編が加えられるであろう。
How a Palestine Tourism Poster, Designed by a Jewish Artist in the 1930s, Took On New Meaning by CHRIS A. SMITH
この豪快に壁を割る図の前には、顔出しパネルがおいてある。
そしてこの前が、バンクシーのホテル、世界一眺めの悪いホテル、「ザ ウォールド オフ ホテル」。泊まりたかったが一人旅にはちと高いねん。
このホテルと壁の間の道が結構狭いのだが、車がどんどん入ってくるので、そのたびに端に寄って待機していた。運転している人と目が合うと、こちらを見て笑顔で手を振ってくる。たまたまフレンドリーな人なんかと思うと、それが車が通るたびに、連続してみんな笑顔で手を振ってくる。なんだこの壁の前の壁のない人たちは。。。
今更パレスチナにも1泊したらよかったとほんま思う。
更にバンクシー氏の作品を探しに行く。歩ける範囲内ではこちら。以前は外部だったところにお土産屋さんができているので、その中に展示されている。
そして一番見たかった絵があった。場所を調べると、旧市街を超えたもっと向こう側で結構遠い。女一人旅で極力避けているのは、タクシーである。Uberなら全く安心して乗るのだが、タクシーはなんとなく不安。できれば利用したくない。しかしどうしても見たい。
バス停まで歩いていくと、バンクシーのホテルのあたりで呼び止められたタクシーのおっちゃんがいた。その時はいらない、って言ってたんだが、やっぱここまで来たなら見に行きたい。でも遠い。。。結局乗せてもらうことにした。
なんか急に涙が出てきた。
みんなあったかい人ばっかり。。。
反対車線を走るタクシーがクラクションを鳴らしている。おっちゃんの知り合いドライバーだ。そのドライバーは笑顔で「良かったな!彼は一番最高のドライバーやで!」と私に言って走っていった。
長いような短いような、「ついたで!」とおっちゃん。
まさかここ?ってところ。おっちゃんはスタスタ行ってしまうので、急いで車を降りる。
ガレージみたいなところで、洗車マシーンのある奥だった。
「ここや!」
思っていたより大きかった。火炎瓶でもなく、手りゅう弾でもなく、花束を投げて抗議する男。これでもかっってくらいに心に刺さる。
普通の住宅街の一角。こんなに大きな絵なのに、自分では見つけられなかったかも。見られてホンマ良かった。おっちゃんありがとう。
そしてバス停まで送ってもらう。「231番のバス、あれに乗ったらエルサレムまで行くからな。よし大丈夫、渡れ!」と道の向こう側まで送ってくれた。
帰りの231番のバスは、チェックポイント(検問所)で停まる。ヒジャブをかぶった女の子がバスを降りていった。いかにも外国人な人たちはバスにとどまっている。その後係員がバスに乗り込んできたが、パスポートはチェックされず。ヒジャブの女の子たちがバスに乗り込み、再びバスは発車。元のバスターミナルまで戻ってきた。
エルサレムに到着し16時前。もう1か所行けると思い、園の墓に行くことに。昨日オリーブ山で夕日待ちをしている時に話しをしたオランダ人のクリスチャンが教えてくれた。「聖墳墓教会ではなくて、こちらが本物だと思う。そう感じるの。すごくいいところだから行ってみて」と言っていた。イエスの墓が、聖墳墓教会ではなく、本当は園の墓にある節があるのだ。
園の墓はHaNevi'im Terminalターミナルから近い、旧市街の壁の外、北側に位置する。
入ろうとしたところで、おっちゃんに声を掛けられる。「今から園の墓に行くの?もっと眺めのいいところがあるよ」
普段はついていかないのだが、なんか思考能力が低下して、着いていってしまった。。。
「お金はとらないから。安心して。ボクは人に親切にしたいんだよ」という。ほんまかいな。
すぐ近くの建物に連れていかれた。インターホンを押すと、鉄の扉のロックが解除され、中に入っていく。
なんやら学校らしい。一般には開けてないみたいなんだけども。。。
「壁を触ってみ。冷たいだろ。古い建物だからだ」とのこと。原理はわからん。
エレベーターで屋上まで行く。とにかく怖い。「目をつぶって」と言われ、手を引かれバルコニーまで連れていかれる。
さあ目を開けて。
わあ!
確かに旧市街が一望できる場所やった。この後目の前に旧市街が見えるところがあるから行こうと言われたが、時間がないと断った。なんか気疲れしてしまうのだ。でも今こうして写真を見るとええとこやなあ。。。
「建物の受付の人に入場料で5シェケルだけ払わないといけないから、ボクにじゃないよ。」5シェケルって言っても、150円くらいなのだ。
ここに連れてきてくれたおっちゃん、ガイド運転手で、客引きの一環でここに連れてきてくれた模様。日帰りでマサダ、死海、エリコなどプライベートツアーで200ドルだと。多分プライベートにしたらすごく安いとは思うが、わたしゃ他のツアーを頼んじゃったからと、お断りした。ごめんやで。
帰り際にチョコレートをくれた。「お金はとらないから。ボクは人に親切にしたいんだよ」と。
きっともっと怪しまれないアプローチをしたら、もっとビジネスうまくいくんちゃうかなあと思った。なんか申し訳ない気持ちになった。
そして無事、園の墓へ。
イエスの墓は聖墳墓教会の中にあるとされているが、こちらが本当のゴルゴタの丘ではないかと言う説がある。「ゴルゴタ」の意味が髑髏ということで、この聖墳墓協会から見える断崖が髑髏のような形であるということからこの場所がゴルゴタの丘じゃないかと言われているのが理由の一つ。
イギリスのプロテスタント系管理で、お庭がそれっぽい。ピースフルな場所。
そしてここがイエスの墓とされている場所。
磔刑は見せしめのため通例交通量が多い道路の傍で、執行されていた。この近くには昔からダマスカスとエリコへつながる主要道路がある場所。そして聖書によると十字架を背負ったイエスは、エルサレム市街から、されこうべの丘へと引き出されたと言われている。「イエスが十字架に架けられたところには一つの園があり、そこにはまだ誰も葬られたことのない新しい墓があった(ヨハネによる福音書)」「天然の洞窟ではなく硬い岩を掘って造られている(マタイによる福音書)」「正面の壁の外側にある溝が示唆しているように、巨大な転がる石によって封印されていた(マタイによる福音書)」「数人の哀悼者が内部にある大きな嘆きの部屋の中に立つことができるスペースが存在したと思われる(ルカによる福音書)」など、手がかりとなる様々な言葉が福音書にあるとのこと。なのでこちらがイエスがの埋葬された場所であるという説が信じられるようになっているのだそう。
そしてこちらが墳墓の内部。
ここに葬られるが、イエスは復活するのだ。
さて今日の夕食は、マハネー・イェフダー市場。
この市場、歩いているだけで本当に楽しい。商店は夜になると閉まるのだが、パブやレストランは夜遅くまでやっていて、遅くまでめちゃくちゃ活気がある。
Jachnun Barというお店に入る。
初めて食べるんだったら、マラアワフがいいよ。ベジタリアンフードだよ。一度食べたら忘れられないからね。トッピングは好きなのを選べるよ。
わからへんし、兄さんのチョイスでお願いしますわ~。
「一番おいしいのん作るからな!」と焼いてくれたのが、こちら。
うめええええええ!!!これは確かに忘れられないうまさ。生地はサクふわ!卵やアボアドでまろやかな中、少しスパイシーなトマトソース。毎日食べたい。
兄さん、ほんま最高やで!
マラアワフMalawachはイエメン系ユダヤ人が、イスラエルへの移民を通じ、イスラエル自体の郷土食となったものやそうな。Jachnun Barおすすめ!
もうちょっと歩きたい。市場の外側に出たが、まだお店が続いている。パン屋さんがあったので買ってみる。ピタパンに味付けしてあるんだ。明日の朝食にしよう!
明日の朝食にと思ったのに、ついついビールのつまみに・・・。
もう1週間経ってしまった。ここ楽し過ぎるよ。。。