イスラエル6日目、エルサレムのアパートにて、午前5:40、日の出と共に目覚める。そんなに朝早く起きるつもりじゃなかったが、鳥たちが日の出と共に鳴き出すので、その声で目覚めてしまう。なんと動物的な目覚めや。しかし旅行中は早起きに越したことはない。観光地は朝早ければ早いほどええ思いをする。
しかしのんびりりしているうちにあっという間に7時過ぎだ。慌ててでかける。
最寄駅のマハネー・イェフダー駅からCity Hall駅まで 路面電車に乗る。
エルサレムの路面電車LRTの乗り方はこちら
海外旅行に行くとき、ツアーに参加しない場合は、公共交通機関を利用する機会が多くなる。しかし国によって乗車の際のルールがあり、テキトーにわからないまま乗車してしまうと罰金の可能性もあるので、使う予定の交通機関は前もって調べておいた方が吉。[…]
City Hall駅を降り、進行方向に歩いて行くと、旧市街地が見えてくる。
旧市街地を囲む白い壁沿いを歩く。朝は涼しく、気温も目の前の景色も、今自分が中東の国に居るような気がしない。
エルサレムの旧市街には門が8つある。その内のヤッフォ門から入場する。
門を入った道をまっすぐ行くと、お店や土産物屋が並ぶスークに入っていく。
朝早いので、 まだ開いているお店はまばら。通学途中のお子ちゃまたちもこの道を通っている。
イスラエルに来たならば、エルサレムに来たならば、絶対行きたいところが二つ、「嘆きの壁」と「岩のドーム」がある「神殿の丘」。その内 「神殿の丘」 は入場制限があり、ラマダンの時は一般の観光客は午後から入れなくなるから、早めに行った方が良いと思い、まず真っ先に向かうことにした。
午前8:20頃到着。入口では荷物のチェックがあるが、それほど待つこともなく、スムーズに入れた。思ったより混んでいないのは、5月だからなものかもしれない。
何度も写真で見て憧れていた「岩のドーム」にやっと対面できた。
この神殿の丘、岩のドームは 、様々なエピソードにまつわる場所。
歴史的には紀元前10世紀頃ソロモン王が 、この地にエルサレム神殿(第一神殿)を建てたが、紀元前587年バビロニアにより神殿は破壊。その後紀元前515年に第二神殿が再建されるが、70年にローマ帝国が神殿を破壊。そしてイスラム教王朝の時代に、エルサレム神殿の壁の上に、更に石垣を築き、そこに岩のドームなどが築かれた。現在も残るエルサレム神殿の外壁が、ユダヤ教の聖地、嘆きの壁である。
岩のドームのある場所は、旧約聖書に登場する預言者アブラハムが、大切でかけがえのない一人息子のイサクを神の生贄としてささげようとしたモリヤの丘とされる。
岩のドーム内にある岩「Foundation Stone(基礎石)」には穴があり、それは「魂の井戸( Well of Souls) 」の入り口となっている。
この魂の井戸は、ユダヤ教にとって、 キリスト教にとっても、最も神聖な場所を意味する「至聖所(Holy of Holies)」とされ、天と地が接続する地点で、「世界軸」と考えられている。ユダヤ教のタルムードにこの岩が世界の中心であることが記されている。ユダヤ教徒が1日3度行う祈祷(アミダー)をする際には、この神殿の丘、 至聖所(Holy of Holies) に向かって祈るとされる。そして 古代イスラエルの王 ダビデが 「神の契約の箱(Ark of the Covenant) 」を置いた所がこの岩とされている 。
そしてイスラム教にとってこの場所は第3の聖地。この聖なる岩は、預言者ムハンマドが預言者ムハンマドが大天使ジブリール(ガブリエル)に伴われ、メッカからこの地に連れられ、この岩から天馬にのって一夜のうちに昇天し、神アッラーフの御前に至った場所。そして、魂の井戸( Well of Souls) は、死者の霊が裁きの日を待つ場所とされている。
キリスト教にとって、新約聖書でイエスが息を引き取った際、至聖所(Holy of Holies) にかけられた幕が二つに裂けたという記述がある。
イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。
すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、・・・
マタイ 27:50~51
青を基調としたタイル はトルコ製。アラビア文字で書かれたコーランの一節が刻まれている。
アラベスク模様のタイルが美し過ぎる・・・。
現在岩のドームには、ムスリムしか入ることができない。ショートパンツの人はとにかく係の人に怒鳴られていて、ロングスカートを貸し出しされ渋々履いている。ハグや肩を組んで写真を撮ろうとしている人もエライ怒られている。色々ルールがあるようだ。でもムスリムではない人間なのに、ここまで入らせてもらえるだけでもありがたい。
ここまで人を惹きつけるパワーは何なのか。この地そのものが計り知れない魅力を持っている。
猫と遊んでいたら腕を掴まれて引っかかれた!実は猫アレルギーなので傷口が腫れてしまう。手を洗いたいと思うが、ここにはトイレはなさそう。門の前に居るおっちゃんに、「猫に引っかかれたから手を洗いたいんやけど、どこか水道はありますか?」って尋ねると、信者が清めるための水道を案内してくれた。「使ってもええの?」とたじろぎながら尋ねると、「ええで」とのこと。なんかみんなよく怒られてたから、ちとおっかなかったのだが、そんなことはなかった。やっぱり敬う気持ちが大事なんやと思う。
神殿の丘からは、キリスト教の聖地、オリーブ山がすぐそこに見渡せる。
旧市街を取り囲む城壁の8つの門の内、ひとつだけ閉ざされた門がある。ここ神殿の丘に接している黄金門で、宗教的に最も重要な門。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が共通して、ここから救世主がエルサレムに入ってくるとされている。
って、開いとるがな!
・・・Wikipediaによると、2019年2月、神殿の丘からの門の入り口が イスラム教徒によって再び開かれました。 しかし、門の外側は封印されており、その実際は開いてはいないそうな。そやし、まだ来てはらへんっていういことやね。
神殿の丘にあるもう一つのモスク、アル・アクサー寺院。
預言者ムハンマドが、サウジアラビアのメッカから神と共に旅し、祈った場所とされている。 715年に建てられ、その後地震などによる崩壊と修復を繰り返している。現在の形になったのは1066年だと言われている。現在はムスリム以外の入場は禁止。
かなりゆっくりしてしまった。次の場所に移動。もう一つ必ず行きたかった場所、嘆きの壁へ。
岩のドームは神殿の丘にあるが、ここはかつてユダヤ教の神殿が建っていた場所。紀元前20年頃ヘロデ大王が改築した神殿があり、その後70年にユダヤ人による反乱がおこったとき、ローマ軍によって神殿は破壊され西壁のみが残った。その後ユダヤ教徒のエルサレム立ち入りは禁止されていたが、4世紀以降、年に1日だけ立ち入りが許可されるようになり、来訪の度に故郷に帰る夢を抱きここで祈るようになった。1948年からこの場所はヨルダンの管理下になりユダヤ人はこの壁に近づくことすらできなくなった。しかし1967年の第3次中東戦争以後、自由に祈ることができるようになり今に至る。
現在の壁の高さは21メートル 下から7段目まではヘロデ大王の時代の第二神殿時代のもので1個当たり、2tから8tの重さとのこと。その上の4段がイスラムのウマイヤ朝によって7世紀に追加され、その当時に神殿の丘に岩のドームを建設している。さらにその上にある小さな石は、12~25段目オスマン帝国時代1866年、26~28段目は1967年に追加された。
嘆きの壁は入り口から入ると真ん中に仕切りがあり、左が男性用礼拝区域、右が女性用礼拝区域と分けられている。
何やらお祭りごとのような歓声が聞こえてきた。ユダヤ教徒では、13歳になった男児が13歳になるとバル・ミツワーと呼ばれるようになる。「戒律の子」という意味で、この時点で成人として、ユダヤ法を守る宗教的・社会的な責任を持つようになる。早いようだが一種の成人式だ。
大きな巻物が開かれた。これはトーラーというもので、ユダヤ教の教えが記される聖書(タナハ)は3つの部分に分けられており、その内の「モーセ五書(創世記,出エジプト記,レビ記,民数記,申命記)」がトーラーである。
男性側は嘆きというよりお祭りムードであった。女性側の方がスペースが狭いからか隙間が見つからないくらい密集し、時間をかけて祈っている。
壁の石の隙間に詰まっている紙は、それぞれの祈りを書いた紙だそうだ。
昼ご飯はTala Hummus and Falafelというお店でファラフェルサンド。ヤッファ門から入ったら一筋目、左に入る道があるのでそこを曲がってまっすぐ行くと右手に見える。GoogleMapでは左手にお店があるのだが、新しいお店は向かい側、つまり右手にある。
揚げたてカリカリアツアツのファラフェル。美味しい。ミントの紅茶とファラフェルで28シェケル。入口にメニューがあってちゃんと値段も書いてあるので安心。
ファラフェルをかじっていたら、どでかいトラックがこの細い路地を通り抜けていて驚く。どう見ても道幅より大きなトラックだ。普通絶対無理やん!って思う所にグイグイ入っていくところがグレイト。
引き続き聖墳墓教会へと向かう。
ここはイエスが磔刑に処せられたゴルゴタの丘とされる場所で、キリスト教最大の巡礼地。
こちらの石は、十字架から降ろされたイエスの亡骸に香油をぬった場所と言われている。ほのかに香りが漂っている。
この奥にはイエスの墓があるのだが、あまりにも人が多かったので、後日行くことにした。空気がカラっとしているので、ジュースがおいしい。あちこちで生絞りのジュースが売られている。
しばしダビデの塔の前の日陰で休憩。スズメさん、お母さんと子供と大きさが変わらんのやが・・・。
引き続き入り組んだ迷路のような路地を歩いていく。
アルメニア人地区を歩いていると、いつの間にか雰囲気が変わったと思うと、ユダヤ人地区になっていた。
イスラエルはとにかく物価が高い。こちら庶民の味方、cofixというカフェチェーン。大き目の街でよく見つける。このコーヒーシェイク(Ice coffee)は5シェケルで150円くらい。イスラエルでは破格の値段。コーヒーも殆どが一律5シェケルなので素晴らしい。旅の途中cofixを見つけたらこればっか飲んでいた。
ユダヤ人街から嘆きの壁に行く間に、嘆きの壁と石のドームが見渡せる見晴らしのよい場所を見つけた。Aish HaTorah World Center
この建物の屋上から旧市街が見渡せる。高いところから、嘆きの壁と神殿の丘を目の前に見る事ができる。
この絶景屋上には、第二神殿の模型も置かれている。目の前の嘆きの壁を見ながら、当時を思い描く。
背一杯レンズを望遠側で撮ってみると、なにやら死海まで写っているような気がする。実際見えるらしいから、そうだと思う。そう思っとこ。
オリーブ山も良く見える。
正統派ユダヤ教の方々の施設なので、あまり大っぴらに観光地としてお伝えしてはいけないのかもしれないが、超穴場だ。展望できる屋上へ有料(多分100シェケル位)で入ることができる。
建物中央にはアメリカのガラス彫刻家デイル・チフリー氏のシャンデリア。590個のパーツでできているんやそうな。
屋上で結婚式もしてはるらしい。これはうらやましい。
次はオリーブ山方面へと向かう。
ムスリム地区を抜けて、聖ステパノ門(ライオン門)を抜けて旧市街の外に出る。
まずはオリーブ山のふもと、「万国民の教会(苦悶の教会)」ファザードのモザイク画が印象的。「マルコによる福音書」のマルコの家と言われる。イエスが処刑される前夜の最後の夜を苦しみながら神に祈ったとされるため、「苦悶の教会」ともよばれるそうだ。
この祭壇の前にある岩で、イエスが祈った言われている。
イエスはこの教会の前にあるゲツセマネの園で磔刑を受けることの苦悩を、できれば回避したいと祈る。
「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。
22:43~44
そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。
イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。
イエスはユダが裏切ること、そして自分が処せられることを知っている。ユダがイエスを裏切った場所はこの教会の前にあるゲッセマネの園。
そして、イエスがまだ話しておられるうちに、そこに、十二弟子のひとりのユダがきた。また祭司長、民の長老たちから送られた大ぜいの群衆も、剣と棒とを持って彼についてきた。 イエスを裏切った者が、あらかじめ彼らに、「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえろ」と合図をしておいた。 彼はすぐイエスに近寄り、「先生、いかがですか」と言って、イエスに接吻した。
マタイ26:47~49
そしてイエスはこのゲッセマネの園で逮捕され、磔刑を受けることになる。
続いてオリーブ山の中腹にある教会、主の泣かれた教会へ。この写真の位置からはわかりづらいが、涙の形をかたどった教会である。
そしてここからは旧市街を一望できる。ロシア正教会マグダラのマリア教会の素敵な屋根も。七つの金色玉ねぎ円屋根を持つ教会は、マグダラのマリアと、ロシア皇帝アレクサンドル3世の母后マリアを讃え建てられた。
さらに上へ上る。イエスが復活の後、天に昇っていったオリーブ山。ここは昇天教会。現在はイスラームの礼拝所になっている
復活したイエスは弟子たち会い、40日目にオリーブ山から昇天した。教会内部の岩は昇天する際にイエスがつけたと言われる足跡と言われる。
まだ17:30だが、夕日待ちのため、オリーブ山の展望ポイントに待機する。標高825m。風がキツイ。石でできた柵を風よけに階段に座って待機していた。
途中で年配の女性がスカートがめくれ上がりそうでキャーキャー言ってて思わず笑ってしまった。オランダから来たグループで、もう一人の女性が私の横に座ったので、どこに行ったやら、どこに泊まってるやら、旅先でよくある話しをしていた。彼女らも、やはりクリスチャンで仲間と巡礼の旅に出ているとのこと。私もクリスチャンかと聞かれるが、そうではないが聖書の話しが大好きだ、と答えると嬉しそうだった。みんな生き生きして楽しそう。オランダ人グループは夕焼けを見ずに帰っていった。
さて、夕焼け本番!
午後7:40、日が暮れたとき、花火の音がした。アザーンが方々から聞こえてきた。ラマダン中のムスリムは日没で断食の時間が終了だ。
空の色がどんどん変わっていく。
GoProで同時にビデオも録画していたので、長時間粘ってしまった。アッと言う間に辺りは真っ暗になっていた。さて帰りはどうしよう。歩いて山を降りるには足元が暗過ぎて転びそう。Googleマップで調べると、どうやら少し歩いたところにバス停があるらしく、255番のバスに乗れば、旧市街まで戻れるとのこと。
何とかバス停は見つかったものの、どちら方面かがさっぱりわからず、反対側のバス停が暗すぎて見えない。どうしよう…。そういえばここ「地球の歩き方」に「オリーブ山は日没を見に来る観光客目当ての窃盗やチカンなど、犯罪がおこりやすい。日没は絶景だが、必ずグループで行くこと」と書かれている。
これヤバイパターン?
とびびっておったら、クラクションを鳴らす音。目の前を見ると少し小さめのバス。運転手の兄ちゃんが、「街に行くんか!?」と。表示をよく見ると255番って書いてある。
あああ助かった~!!!
バスに乗り込み運賃を支払う。もらった切符はアラビア文字。そうか、ここはイスラム地区かあ。その後乗り込んできた乗客はほぼムスリムさんたちで一杯。
バスの終点はダマスカス門の近く。「地球の歩き方」には「ダマスカス門は、特に女性が日が落ちてからひとりで歩くのは絶対に避けたい」と。
バスの運転手はとても愛想がよいお兄ちゃん。そして乗客の若者も、私が降りようとすると、降りやすいように、可動式の手すりを上にあげてくれるというジェントルボーイ。
みんなええ人ばっかりねんけど。
どこ国に滞在するときも夜に治安が悪そうかどうかは、子供連れのお父さんお母さんがのんびり歩いているかどうかで判断している。ダマスカス門のバス停のあたりには、たくさん子供を連れた大人がいた。本当に治安が悪いなら、子供連れてのんびり歩いていないやろうと思う。
それでも注意はするけど、注意し過ぎることもない雰囲気だった。
バス停からトラムの駅まで少し歩く。トラムを待っていると、となりに座っているおばちゃんが、周りの人に水を持ってないか聞いてる様子。トラムの反対側のホームに座っている二人組の若者の元まで行って、若者からボトルの水をもらってきた。そして私を見て「とったで!」っていう表情をしながらニヤリと笑いかけられた。
日本の「人と人の間にある見えない壁」について考えてしまった。
たくさん歩きまわった。ビールを1本飲んで今日も即落ち。