なぜ、このブログのタイトルを「インディペンデント魂」としたのか。
その答えは2011年の3月に遡る。
当時40歳だった私は、イギリスはスコットランドのアバディーンという小さな街に留学していた。
その学校のクラスメイトにダナというスロバキア人がいた。
彼女は不愛想でとっつきにくい雰囲気で、挨拶しても笑顔がないし、声をかけにくいという印象だった。
そのクラスの授業で、ある記事を読み、それを隣にいるクラスメイトと討論するという課題があった。
私の隣には不愛想なダナがいた。
その課題の記事の内容は、ファストファッションの衣類の価格が安いのは、開発途上国の子供たちが、格安の賃金で、非常に過酷な環境の工場で縫製の仕事をさせられている。
そのためにファストファッションの衣類は価格を安く設定できるのだというものだった。
ダナは搾取されている子供たちが可哀そうだから、そんな仕事は辞めさせるべきでだという。
普通に考えて、当然その子供たちがかわいそうだ。
しかしここはディスカッションの場である。
何か仮説として別の論点を持ち出さないと議論がなりたたない。
全く笑顔を見せない彼女。
私はここで別の論点をもちだすことで会話をヒートアップさせようと思い、一つの仮説を考え、ダナに伝えることにした。
その子供たちは実際のところ安い賃金であっても、工場で働いてお金を稼ぐことができる。
それを禁止してしまうとその子供達にお金が入らなくなってしまい、逆に不幸になりかねない。
このスロバキア人、怒るかな・・・と思いつつも、何か別の意見を言わないと授業をしている意味がない。
と、ビビりつつも反論してみる。
意外や意外、怒ることもなく彼女は私の顔をじっと見つめて話しを聞いていた。
そうこうしているうちに、放課後、彼女と一緒にお昼ご飯を買いにいったり、途中まで一緒に帰ったり、彼女が私をパブに誘ってくれたり、よく話しをするようになった。
ほんの一か月間だけしか一緒にいなかったのだが、お互いの家庭や、考え方などを話しあううちに、とても親しくなっていった。
彼女は私と歳が近いので、スロバキアがチェコスロバキアだったころ、社会主義国家だった時代を生きてきた人だ。
活字ではなく、人の口から聞く、自分が思っていたイメージとは違う社会主義時代の話しを聞くのは本当に興味深かった。
社会主義で情報が隔離されているかと思いきや、実はオーストリアの国境で、あちらがわのラジオが聴けたとか。
社会主義の方がある意味幸せだった。頑張らなくても生きていけるし、とか。
彼女は私にびっくりするくらい親切にしてくれた。
第一印象は怖かったのに、心の中はそれはそれは暖かい人だった。
そして、あっという間に1ヶ月が経った。
私が日本に帰る前、彼女も「もうすぐスロバキアに帰ろうと思う」といっていた。
彼女は当時一緒にアパートメントに暮らしていた彼氏がいた。
とても仲良しで、本当に素敵なカップルだった。
だが彼女はスロバキアに帰りたがっていた。
その彼氏のことも大好きだが、それでも自分の国、両親とその家にいる犬が恋しいという。
ここでは外国人にはロクな仕事もないという。
でも「あんなに仲良しで素敵な彼氏がいるのに、もったいない」と、私がいうと、彼女は、
「あんたが旦那と離婚して、ここで若い男と再婚すればいい。あんた若く見えるから。あんたがここに居るなら、私はここを離れないよ」と、ニヤニヤ笑いながらいった。
ダナは、一人でどこでも行ってしまう私のことをすごく珍しがっていた。
もう一人同じクラスに日本人がいたが、その日本人がダナにとってはじめて見た日本人だった。
その日本人が、私と全く違うタイプだったので「こんな日本人もいるんだ!」と何か変な珍しがり方をされていた。
私は誰にも頼らず一人で遠く離れた国に留学に来て、時間があれば一人でどこでも行ってしまうようなタイプだったから、彼女は私を
「あんたインディペンデントだね」って言っていたのだ。
今まで自分が「インディペンデントな人」だと考えたこともなかった。
人に頼らない、群れない、依存しない・・・。彼女に言われて、そうだったのかと気付いた。
結婚しているのに3ヶ月家を空けて、一人で海外で暮らしている。
きっとあまりそういう人っていないのかもしれない。
私としては、自分をインディペンデントな環境に放り投げることで、急速にたくさんの知識を得ることができると思っている。
人に頼ることは簡単だ。
でも依存しすぎると結局依存する相手がいないと生きていけなくなる。
依存しすぎると、突然相手に頼れなくなってしまった時に、パニックになってしまう。
何が起こっても自分で対処するという度胸をもち、一人で対処できるように、日ごろから独立心を鍛えるべきなのだ。
女性の場合、いまだに結婚したらキャリアは途絶えてしまいがち。
主婦であっても、何かしら自分ができることを続けていくべきなのだ。
やろうと思えば何でもできると信じて、出来る限り人に頼らず自分で解決する力を付けることが大事。
そうならないためにも自分が独立心をもって行動することで、「なんとかなる」という自信がつき、先の不安を感じることなく、心の平静を保つことができる。
結婚して、旦那がいても、彼は彼の世界がある。仕事は休めないし旅行に行くのは無理。だからといって相手に合わせる必要はない。その仕事を選んだのは本人だ。
私は私の仕事、やるべきことがある。
そして我慢せず、毎日を意味のあるものにし、人生を悔いのないものにしたい。
そして、去年の夏、私はイギリスと中央ヨーロッパを34日間かけて回っていた。
その際スロバキアに寄り、ダナと7年ぶりに再会した。
大好きなダナにずっと会いたかったのだ。
彼女の家に泊まらせてもらって、彼女の家族や友達にも会えて、本物のスロバキアの暮らしを体験させてもらった。
彼女の友達の誕生日パーティーに参加させてもらったのだが、そこで流れていた音楽、みんなが一緒に歌って踊っていたスロバキアの80年代の音楽は、言語は違えど、私がよく聴いていた80年代洋楽ポップスと同じようなスタイルだった。
文化は国境を越えて漏れていたんだね。
自分に独立心がなかったら、こんな素晴らしい経験や、こんな素敵な人たちに出会うこともなかっただろう。
自分の体が動く限りは、自分の好奇心のおもむくまま、めいっぱい世界のあらゆるものを見ていきたい。
人に振り回されず自分の生きる道をもっとわがままに進んで行こう。