今から7年前、2011年の1月から4月まで私は語学留学をしていた。
結婚して10年目、40歳の冬のことだった。
その時の体験があまりにも楽しく、またその3か月で人生が変わってしまった程の気付きを得た。
40代の既婚者が一体どのような留学生活を送っていたのか、またいくつになっても学びを楽しむことができるということを、ここでお伝えしたい。
留学期間はどれくらいにすべきか
それまでにも一人旅で10日間程度は家を離れることがあったのだが、この時は3ヶ月と定めた。
当時はそれなりに決心が必要であった。
私は予算の面や、仕事の兼ね合いも考えて3か月が限界かと思ってそうしたのだが、許すことなら半年から1年留学することをお勧めする。
もし私が今いくなら半年以上にしていると思う。
どの国に留学すべきか
私が留学先で選んだ国は、アイルランドのダブリンと、イギリスでもスコットランドの小さな街アバディーンというところだ。
留学先として人気がある国は、アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリスであればロンドン。
どうしてダブリンとアバディーンを選んだかと言うと、ちょっとマイナーで単に日本人が少なそうというイメージだったからだ。
実際のところ、英語圏で日本人がいないところを探すのは難しいが、他と比べたらこの2地域は、比較的日本人が少ない。
そしてロンドンなど大都市よりもダブリンやアバディーンの方が物価が安い。
ちなみにアイルランドやスコットランドは訛りがキツいから大丈夫かと思われるが、語学学校内の先生はイギリス標準語もしくはアメリカ標準語を話す。
クラスメイトはいろんな国から来ているからアクセントも様々だが、それはもちろんどの国に留学しても同じ。
なぜ日本人がいなさそうなところを選ぶのか
私に与えられた時間は3か月、短期間で英語を強化せねばならない。
そこで日本人が多い環境に行ってしまうと・・・。
日本人は群れたがるし、そこで日本語を喋りたがる。
私は基本的にドケチ人間なので、金を払ったからにはそれだけのものを掴んで帰らなアカン!と思っている。
3ヶ月の留学のためにお金を費やして、なんで日本語しゃべらなあかんねん。
わざわざ留学に行って日本語ばっかり喋っていたら、金をドブにすてるようなもんだ。
毎日が観光
ただの通学路がもう観光状態なのだ。
バスに乗っているだけで、バスを降りて歩いているだけで、観光していたら、いつの間にか学校に着いている。
学校からスーパーやコンビニへお昼ご飯を買いに行くだけでも観光なのだ。
放課後ショッピングモールに寄ってお菓子を買おうと陳列台を見ているだけでも、好奇心がオーバーフローする。
商品ひとつひとつを「なんじゃこりゃあ!」と興奮しなが見つめ、日本で売っていない、安くて美味しいビスケットやチョコレートを見つけて味わい、感動する。
また私の場合、3か月間で、1カ国ではなく2つの国で留学したのだが、違う国で学ぶことで、新たな場所で観光ができるのだ!見知らぬもの、新しい体験、食べたことのないもの、すべてが観光になる。
また留学の予算に関しても、自分で学校を見つけて直接申し込んで、飛行機のチケットも、自分で購入すると、そこまで高くない。
旅行でホテルに泊まるより、ホームステイの方がかなり安くなる。
3か月以上留学するなら、自分でルームシェアのアパートメントを探せばもっと安くなる。
つまり予算をかけず長期で観光しながら、勉強もできるってわけだ!
だが確実に太るよ
ダブリン時代は、毎日のように学校の前にあるコンビニで、大きなフライドチキンが入ったサンドイッチを食べていた。
これがまた安いし、デカいし、旨いねん!
そして毎日のように、安くて滋味なグラハムビスケットと、ミルカ社の強烈に旨いミルクチョコレートを食べまくったおかげで、私はほんの数週間で6 kgぐらい太ってしまった。
ちゅうねんだもの。。。
健康的に留学するには
アバディーンに留学していた頃は、学校の近くに M & S と言う、ちょっと小洒落たスーパーがあった。
そこでサラダをよく買って食べていたのが、これがなかなか美味しくて。
それからビスケットの代わりに、お腹がすいたらりんごを食べるようにした。
ガラという品種の小ぶりなリンゴがあり、これが歯ごたえがあって、酸味も程よく、ジューシーですごく美味しい。
ガラリンゴをおやつにガリガリ食べていたおかげで、少しずつ前の体重に戻っていった。
勉強!という大義名分のもと呑む!
ダブリンもアバディーンも、どちらもパブ文化が盛んな街。
ダブリンに関しては、言わずもがなギネスの産地。
私はダブリンで呑んでいたギネスがあまりにも美味しすぎたので、帰国してから輸入ギネスは呑まなくなった。
海を渡ると、どうも「あのギネス」ではなくなってしまうようだ。
アバディーンではパブにいくと、カスクエールと呼ばれるビールが呑める。
無濾過で熱処理をしていないホンマもんのエールビールだ。
その辺のトラディショナルなパブで、いろんな種類のビールが安くで呑める。
それはそれは本当に天国のようなところだ。
学校帰りも コーヒーを飲む間隔でビールを呑む。
また呑みながら友達と語らうのも勉強のひとつだ。
ほろ酔いでホームステイ先に帰り、眠いながらも一生懸命次の日のための宿題をする。
こんな風に、毎日楽しく遊んでいても、毎日英語を喋るわけだから、学習能力は上がっていく。
こんな効率が高いこんな素晴らしい勉強法は他にない。
冷や汗学習法
しかし、当たり前のことなのだが、毎日が英語になる。
授業も全て英語になるわけで、先生は、宿題や課題など全て英語で伝えるわけだ。
聞き取れないと、何をすればいいのかわからない。
最初の内は聞き取ることで、必死になる。
でも、もしその場で聞き取れなくても、そこで終わりにせずに、その辺のクラスメイトに分かるまで教えてもらえばよい。
私もイタリア人やインドネシアのクラスメイトに「何?どういうこと?」とよく聞いていた。
それでも当時は、もう毎日毎日が冷や汗もんだった。
冷や汗の後、スルスルとブレークスルー
しかし2週間ぐらい経った頃、ふと肩の力が抜ける感覚があった。
なぜか英語がスルスルと入っていくのだ。
私がダブリンに行った時は、アッパー・インターミディエットという、中の上、鰻丼でいうと、上丼クラスだった。
そしてそのクラスで2ヶ月を過ごし、ダブリンを離れ、スコットランドのアバディーンに行き、新しい学校で受けたクラス判定のテストの結果は、アドバンスト・クラス、鰻丼でいうと特上クラスになった。
一番上のクラスになっていたわけだ。
結局この2ヶ月でかなりの成果をあげられていたんだと思う。
冷や汗再発
そして残りの1カ月をアドバンスド・クラスで過ごすのだが、周りは私にとってはクラスメートがもう先生級の方々。
そしてここでも冷や汗再発で、縮こまりながら 一生懸命授業についていこうとした。
なんとかついて行ったのだが、やはり2週間後ぐらいに、またふと肩の力が抜けるような感覚があった。
周りのレベルが上がると、自分も必死で着いていこうとするために、上達が早くなるのだ。
たったの3か月であったが、この冷や汗学習法で、自分自身の英語の能力は確実に上がった。
そして仕事の幅が広がる
私が語学留学をしようと思ったのは、もともと英語が好きだっていうのもあったのだが、留学前は「しがない司会」の仕事をしていたが、普通に司会の仕事をしているだけでは何の芸もないなと思っていた。
ちょっとでも上を目指そう、英語の司会をできるようにと、いうのが目的だった。
そして留学から帰ってきて、ロボットのように司会の仕事をしているのがアホらしくなった。
あまりにも狭い視野の中で生きてきたなと。
そして今は英語の司会だけでなく、通訳、翻訳、海外メディアの日本国内取材などの仕事に携わるようになった。
この留学の経験が活かされ、仕事の幅が広がってきたのだ。
今の仕事はずっと続けられる仕事なのか?次は何ができるだろうか?視野が広がると、様々な仕事の糸口が見えてくる。
学生時代に留学できなくても、いくつになっても日本を飛び出せる
この結果、仕事を休み、旦那もほったらかし、3ヶ月家を空けた価値があったわけだ。
子供の頃、学生の頃に留学をする機会があれば絶対したほうがいい。
私は子供時代、家が貧乏だったので、留学がしたくてもできなかった。
自分でお金を稼げるようになり、ふと思い立って40歳で留学した。
一旦日本を出てしまうと「いい歳して」「結婚しているのに」「なぜ今頃学校にいるの」ってとがめる人はいない。
日本人の「年齢分別主義」の様なステレオタイプはないので、人の目は気にする必要はない。
新たな青春を築くことができる。
遊びが学びにつながっていく
いくつになっても記憶力、学習能力は衰えることはないと私は信じている。
中年になっても、いつまでも、好奇心さえあれば学べる。
面白い!見たいことがない!ワクワクする!それだけでアドレナリンが上がり、目の前のものを脳があっという間に吸収してくれる。
冷や汗をかきながら、最高の経験、最高の体験ができる。
40を過ぎても、50を過ぎても、定年年齢になっても、いくつになってもチャレンジだ!
そうすることで自分の心の中の年齢の壁がくずれ、魂が若返るのだ。