ずっと行きかったヨルダンの「ペトラ遺跡日帰りツアー」に参加するために、イスラエルの最南端の街エイラットに来たのだ。
しかし昨夜は宿のベッドバグ問題でエライ目に遭った。
ほんの2時間程寝ただろうか。
朝7:00、Airbnbの宿泊先から歩いて5分ほどの場所にあるホテル前でツアーの送迎バスを待つ。
他に待っている人がいないので、本当に拾ってもらえるか不安であったが、5分ほどでマイクロバスが来てくれた。
7:20、イスラエル側の国境にはすぐに到着した。
しかしここから国境越えまでが長丁場。
前もってこのツアーの口コミを見ていたので一応心構えはしておった。
6人ほど乗客を乗せたマイクロバスは、イスラエルとヨルダンの国境の手前で止まり、他の地域から別のバスに乗ってくる乗客たちをひたすら待つ。
その間、ジャーニーのスティーブ・ペリーと、萩原流行と、なだぎ武を足して3で割って上流階級にしたような男性も待っていたので話しかけてみた。
彼はフランス出身で、その後ロンドンに住み、ソフト開発の仕事でイスラエルに移住してきたと言う。
話しの流れで、彼は日本人の祖先は2700年前にアッシリア人に追放されたイスラエルの十支族の一つであるという「日ユ同祖論」について話していた。
この説、以前に読んだことがあり、トンデモ系かと思いつつも、結構納得してしまうので面白い。
しかしイスラエルに住む彼からこの話しを聞くとは思わなかった。
別のバスに乗ってきて、国境で合流したオーストラリア人の女性は、テルアビブからのペトラ遺跡ツアーに来たという。
そのテルアヴィヴ組は朝3時出発だったそう。
彼女はテルアヴィヴで開催されていた音楽コンテスト、ユーロビジョンに、オーストラリア代表のアーティストを応援するためにテルアヴィヴに着て、その後でツアーに参加したとのこと。
彼女に「2019年ユーロヴィジョンコンテントのオーストラリア代表は、どんなジャンルなの?」と尋ねると、
「オペラみたいなシンガーよ」とのこと。
おお、確かに!
小林幸子が紅白でオペラ歌ってる。
彼女は明日はテルアヴィヴからエジプト行きのツアーにも参加するとのこと。
それって北南北南とずっと移動やん。。。
いつの間にか他の乗客も集まったところで、ワディアラバ国境を超える。
8:40、イスラエル側の国境で、パスポートを見せ、スタンプ代わりの名刺サイズのピンクのカードをもらう。
国境でビザの発行や、出入国手続きを経て晴れてヨルダン入国したころは、ほぼ10時ごろ。
エイラットから国境まではすぐなのだが、ヨルダン入国まで、ほぼ3時間かかるということだ。
ヨルダンに入ると素敵な笑顔のロイヤルファミリーの大きな写真が掲げてあった。
頭にカフィーヤをかぶる、故フセイン国王、アブドゥッラー国王、そしてフセイン王子。
ヨルダンは立憲君主制の王国で、イスラム教の預言者であるムハンマドの曽祖父ハーシム家の一門。
写真中央のアブドゥッラー国王は、様々な逸話がある。
・国民の声を聞くため、タクシー運転手、新聞記者、老人等一般人に変装
・外国要人を迎えに、国王自ら車で空港やホテルまで迎えに行く
・王室政府公用機エアバスA310 や、戦車も操縦する
・スタートレックの大ファンで、スタートレックTVシリーズに約6秒出演。
素敵過ぎる。インディペンデントの鏡や!
ちなみにヨルダンのカフィーヤは赤と白のチェック柄。
国によって色や柄の違いがあるんやそうな。
バスは何もない岩山を抜けていく。
11:00、ツアー定番のお土産屋さんでしばし休憩。
店の兄ちゃんに、商品のヒジャブでグルグル巻きにされ、自分の余りの似合わなさに卒倒しそうになる。
ツアーなので自由に出かけられないから、ここでヨルダン国旗のピンバッジをゲット。
私は海外旅行に行く際に必ず購入し、集めているものがある。それは国旗のピンバッジである。訪れた国で購入した国旗のピンバッジを部屋の壁に貼った大きな地図に貼り付けてコレクションしている。もう全くの自己満足の世界なのだが、これを眺めると[…]
このおみやげ物屋さんの屋上から見る景色が絶景だった。
あ!ラクダだ!
羊や山羊を放牧中の遊牧民、ベドウィンの姿!
そしてえらい管理犬さん。
引き続きバスは進み、建物が増え、街になってきた。
他のツアーは食事つきのところが多いが、このツアーはランチボックス付き。
なのでレストランで食事をしたり待ち時間を遺跡見学に費やせるのだ。
ランチボックス中には、サンドイッチ2つ、トマト、小さいキュウリ、オレンジ、スナック菓子、チョコ菓子、オレンジジュース。
午後12:40、やっとペトラ遺跡のエントランスに到着!
待ち合わせポイントから、ここまでで5時間40分、長かった~。
というても、交通や国境超えに関する心配は皆無やし、何も準備する必要もないからこんなに楽なことはないし、文句は言えない。
13:00ペトラ遺跡1日入場券ゲット。
1日入場券は90ヨルダンディナール、13,795円!!!(2019年7月28日相場)
ここはJordanですけど、冗談ちゃいまっせ・・・。
実は、ヨルダンに滞在していれば、50ヨルダンディナール、7664円(2019年7月28日相場)とかなり値段が変わるのだ。
世界的にどこも世界遺産の入場料って高騰しまくっているようだが、まあ取れる人からは取ったらええとは思うねんけどな、日本の世界遺産で一番高い入場料は、姫路城で1000円やん。
まあ規模的なものが違うから比べられへんけども。。。
何にしろここまで来られたことに感謝せな。。。
ペトラは元々、中東の交通や物流の中継地、紀元前2世紀前半頃を中心に栄えた古代ナバテア人の王国で、6世紀ごろまで栄え続けたと言われている。
ジン・ブロックス は、オアシスの豊穣を司る神、ドゥシャラ神の象徴と考えられている。
岩に彫刻された尖塔型のオベリスクが上部に4本あるのがオベリスクの墓、恐らく5名が祀られたの墓とされる。
下部は死者を弔うための儀式をするための部屋とされる。
そして、スィークに入っていく。
岩壁に挟まれた路地スィークはおよそ1200mの距離で、道幅は3mから12m、岩の高さは高いところで約80mある。
馬車が、狭い岩の壁を勢いよく通り抜けていく。
自然の岩の造形美の中に、ナバティア人の彫刻が垣間見られる。
長いシークを抜けると、宝物殿 アル・ハズネ(エル・カズネ)が見えてくる。
1 世紀初頭にたてられたナバテア人の王の墳墓と言われる。ファザードは幅30m、高さ43m。
ツアーはここからしばらく自由時間。
洞穴が見えるが、ベドウィンがここを長らく住居として使っていたのだそう。
ここでおみやげ物屋さんや、ラクダや馬に乗っているのはみんなそのベドヴィンの人たち。
元はといえば、ここにいるベドウィンはナバテア人の末裔とされ、ここに住み続づけていた。
しかしペトラが1985年世界遺産に登録され大部分が追い出されて、ほとんどの人達が別の場所に住まわされるようになったそうだ。
ローマ様式の劇場。3000 人、または5000人は収容できると言われている。
丘の上に王家の墓が並ぶ。
墓の中の天井や壁は、石が見事な柄になっている。
およそ70年ごろに建てられたものとされ、446年からビザンチン教会として使われていた。
王家の墓からの見晴らし。
まだまだ先があるのだが、そろそろ引き返さねばならない時間。
行きは気付かなかったが、結構な距離を歩いていた様子。
歩いても歩いてもなかなか元の場所に戻らない。
やっとシークを抜けて、出口に到着。
自由時間を経て、16:30に駐車場のバスへ。
どのバスかさっぱりわからずうろたえておったら、クラクションを鳴らして知らせてくれた。
もしバスが見つからなければThe end of the worldや。
ランチボックスに入っていた謎のスナック菓子を食べながら、切れかけの電池状態で再びヨルダン・イスラエル国境を渡り、エイラットに戻る。
帰りは好きなところで降ろしてもらえたので、ビーチのあたりで降ろしてもらったが、結局特になにもせずフラフラ宿に帰る。
疲れすぎて夕飯何を食べよう考えるのも面倒になったので、帰って尾西のアルファ米を食べる。
部屋が変わってしまったので、キッチンもお湯も使えず、水だけで食べられるアルファ米、そして昨日一緒に飲んでたエフィさんがくれたユーロヴィジョン仕様コーラがあったので、ありがたくいただくことに。
尾西はん、エフィはんおおきに。
エイラットからペトラの日帰りツアー、わかってはいたけど、1日だと足りない。
今回スケジュール的に1日しか無理だったから、他に選択肢はなかったし、金額も妥当だし、何より手間がかからず楽だった。
しかし自分で現地にたどり着くという達成感がなかったのと、ヨルダン人やベドウィンの人たちと話しをするチャンスがなかったのがちと残念だった。
できることならヨルダンにも何日間か滞在して、その中でペトラに行きたかったなと思う。
そうすれば入場料も安くなるしね。
またヨルダンに戻れる機会があることを願う。
明日はエイラットからテルアヴィヴへ早朝バス移動。
早く寝なければ。