イスラエル⑨エルサレムで超ド短期アルバイト!カメラマンデビュー

イスラエル9日目、昨日マサダ&死海で出会ったミスター岩のドームことマイケルが、私が撮影したFacebookの写真を見て、「マーケティング用に自分の写真を撮ってほしいので 明日 1時間だけ時間くれないか。その分のお金は払う」という。 「明日は、嘆きの壁の地下トンネルツアーに参加するので、その前なら空いてるよ」とは言ったものの、半分テキトーに聞き流していた。それがどうやら本気だったようで、なんとエルサレムでカメラマンの超ド短期アルバイトをすることになってしまった。カメラ撮影は好きだが、お金もらうとなると、真剣に撮らねばならん。今日は エルサレム4泊目で明日の朝には次の街に移動するので、今日が実質エルサレム最終日となる。なのでトンネルツアーと撮影会以外は、まだ訪れてなかったところを回る予定。

いつもすごい行列なので、聖墳墓教会内にあるイエスの墓にまだお参りできていなかった。今日が 来訪3度目ラストチャンスだ。朝7時20分に到着するが、7:30からミサがあるので入れない。いつかは入れるだろうと思ったが、ミサに参加している礼拝者が優先され、とにかく行列で待つ。結局お参りできたのは10時だった。

中はとても狭く、三名ずつしか入れない。そして入れても数十秒で出ないといけない。もちろん写真はNG。今回のイスラエル旅行で写真が撮れなかった施設はここだけだったかも。とにかくイスラエルで一番入るのが大変な場所だと思う。朝7時半でもこれだけ待つから、それより早くに来たほうがいいかもしれない。

なんやかんやで無事お参りはできたので、次に行ってみよう。市場を抜けていくとT シャツ屋さん発見!

店主やる気なし

店主は猫だった。

生きてるで~

生活感がたまらん市場をまっすぐ進んでいくと、いつの間にかアートなユダヤ人街。

ここはカルドというショッピングストリートだが、古代はメインストリートだったところで、一部地下の遺跡が露出してている。

一番深い部分は紀元前8世紀、第一神殿時代の建物の跡が残っており、その横に は紀元前2世紀から1世紀にかけてのハスモン朝時代の壁が 残されている。

ローマ時代、ビザンツ時代と繁華街として栄えた遺跡の上は、近代のユダヤ人街の建物が建てられている。

しばらくすると、マイケルから連絡があった。「今から旧市街に向かう。160シェケル払うから、 1時間程写真撮ってくれるか。SDカードは持参していく。」とのこと。Googleマップで現在地を共有するリンクを送り、ユダヤ人街で待っているとすぐに合流できた。

ユダヤ人街を満喫するトップモデル、マイケルの姿を撮影し、嘆きの壁へと向かう。

フルヴァ・シナゴーグ前

通りすがりのお店の店主にユダヤの祝福祈祷を受けそのパワーをよしおちゃんに転送してくれた。

パワー転送中

岩のドームと嘆きの壁が一望できるAish HaTorah World Centerで撮影後、いよいよ嘆きの壁での祈りを撮影。

嘆きの壁は男性と女性と別れているので、女性側から塀に登って撮影。カメラが標準ズームしかないのだが何とか撮影。

「素晴らしかったよ。ヨシも行っておいで」と、カメラマン交代。

一昨日一人で来たときは、自分も祈っていいのやろか。場違いやないやろうか。と、かなり遠慮気味に壁に触れさせていただいたのだが。。。

マイケルを見て勇気が出た。

なんとも言えない心が洗われるような気持ちになった。(ちなみに首にGoproかけてビデオ撮ってたんですわ)

その後は市場へ。お昼ご飯前にデザートのスイカ。

そしてランチ即決。モロッコ料理の店 レストラン。

シュワルマという肉料理、シャワルマともいうみたいやが、ケバブのような料理。ケバブとの違いはわからぬ。ちなみにこちらは鶏肉。

食事中も撮影会。モデルモードに入るとマイケルは、見えない人が見えるのだ。

左にも右にも誰もいないよ。

食事後はトップエグゼクティブな撮影会。見えない神と交信中。

すると撮影会を遮る土産物屋の兄ちゃん登場。「ゆびわ、ゆびわはいらんか?」

運命的に店に引き寄せられていく マイケル氏 「彼はすごいね。僕が持っているもの 僕が持っていないものを観察してたんだ。」

それが指輪だったのだ。

マイケル 「ベトナム人の友達がいるんだ。彼は僕と同じで独身なんだけどね、出張中は左手に指輪をつけるんだよ。この人は結婚していると思われて信用されるんだって。で、いくら?」

土産物屋兄ちゃん「1200シェケルだけど、特別に値引するよ。どれぐらいだと思う?25%オフだ。およそ300ドルだから220ドルにするよ。」

マイケル「175ドルはどうだ」

「SOLD!!!」

「商談成立っ!」

「神のご加護を」という意味がヘブライ語で書かれたリングを購入したマイケル。商談術、勉強になるわ~。

「また世界のどこかで会おうね」とマイケル と別れる。なんちゅう面白いアメリカ人やろか。よしおちゃんがなりたいと思う理想のおっさん像だ。

マイケルは帰国のためテルアヴィヴに向かう。よしおちゃんは嘆きの壁の地下に潜入だ。

チケットはネットで予約して、指定の時間より少し前に到着する。予約書を施設の入り口の機械に読み込ませ、クレジットカードで支払うのだが、クレジットカードがうまく読み取れず結局少し離れた有人チケット窓口に行ってチケットと引き換えた。とても人気があるツアーなので予約する方は早めに予約して、到着も気持ち早く着ておいた方がいいかも。ロビーで待機し、「14:10から参加の人、入ってください」という案内があり、ガイドツアーがスタート。

第三次中東戦争 (1967年6月5日 – 1967年6月10日) の後、嘆きの壁の全長を発掘する調査が進められ、約20年後にようやくこのトンネルを発掘。エルサレムの2000年の歴史が明らかになった。

外から見える嘆きの壁の横の全長は61メートルだが、実際は全長490メートルあるのだ。なので殆どが地下に埋もれている。

ウェスタンストーンと呼ばれる石がこのトンネル内にあるのだが、これは機械を使わず人力で運んできた最も重いものの一つとされる。長さは13.6メートル、高さは4メートル、重さは570トンもあるのだそうな!ロマンどすえ。

この第二神殿を建てたヘロデ王というと、とてつもない建築で有名だが、この石は、当時人力で丸太を使って運んだ説と、元々あった大きな岩盤を掘って壁を作ったんちゃうかという説もある。いや、どちらにしてもロマンどすえ!

ここがWarren's gateと呼ばれる箇所で、かつて神殿に通じる門であったが封印されてしまった。19世紀にこの門の場所を発見したCharles Warren氏の名前からWarren's gateと名付けられたそうだ。

エルサレム旧市街の地下、紀元前20年の遺跡のトンネルは、かつて存在した神殿の中にあるユダヤの至聖所「Holy of the Holies」に一番近い場所を通るので、そこで祈る人が絶えない。

神殿の丘と平行するヘロデ王の時代の道路の路面は当時のもの。

第二神殿がどのように建てられたか説のアニメを見ることができる。

地下水路の跡を抜けていく。

その先には古代の貯水池も残っている。

ちなみに金魚は最近来はったんやて。

さすがに壁が長いだけあり、ツアーは1時間半強。いつの間にかトンネルを脱出し、そのまま旧市街の一番西端に近い場所にあるローマカトリック教会、聖アンナ教会へ。

この教会の敷地内にある洞窟に、聖母マリアの両親のヨアヒムとアンナが住んでおり、聖母マリアもここで生まれたとされる。

元の教会は5世紀に建てられ、のちにペルシアによる破壊を経て、1140年ごろ十字軍に再建される。十字軍時代の教会としてエルサレムで最も保存状態が良い建物とされる。この教会内は、音響効果、リバーブが素晴らしいことで有名だそうだ。数人の聖歌が、大人数の大聖堂のような聖歌のように大きく響き渡るという。

いやほんまに聖堂内の讃美歌が地下まで、びっくりするくらい響き渡っていた。

地下のフレスコ画

エルサレムの他の教会は1189年の第3回十字軍との戦いの後、イスラムによっり破壊されたが、この教会は破壊を免れ、イスラムの法学校となり、数世紀後に放棄され廃墟となっていたのを、フランスが元の聖堂とほぼ同じように 修復した。1967年の第三次中東戦争の後も修復されている。

この教会の裏には遺跡があり、新約聖書のヨハネによる福音書に書かれている、イエスが病人を治したという、ベトザタの池はここにある。

ベトザタの池を発掘したときに、聖書の通り5つの柱がでてきたそうだ。

「エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。 この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。 彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。

ヨハネによる福音書5章1節 新共同訳聖書より
ベトザダの池

なんでやろう。なんか白い雲のようなのが写真の左側に写ってるんやが。なんなんやろう。

そして、ここからヴィア・ドロローサ「苦難の道」を歩く。イエスは十字架を背負って、総督ピラトの官邸から、処刑の地、ゴルゴダの丘までこの道のりを歩いた。

ヴィア・ドロローサは、第1留から聖墳墓教会内の14留まであり、それぞれが聖書に書かれて出来事が起こった場所である。第1留は現在、男子校の敷地にあるが、授業終了後じゃないと入れないそう。というか、どこかわからんかった。

第2留、「鞭打ちの教会」ヨハネによる福音書によると、有罪に定められたイエスは、ここで茨の冠をかぶせさせられて、兵士に鞭で打たれた。

元は十字軍が12世紀に建て教会で、その後遍歴を経て、1838年にフランシスコ会が購入し、再び教会として使われるようになった。1927年から1929年にかけてイタリア人建築家が修復している。

鞭打ちの教会 Church of the Flagellation

同じ敷地には、「有罪判決の教会」もある。同じく十字軍の時代の教会建物を修繕したもの。

有罪判決の教会 church of the condemnation

教会内には、有罪判決を受けて十字架を背負わされるイエスの姿が見られる。

ここで讃美歌を歌いながら行進する巡礼者の姿も見られる。

第3留、イエスが最初につまずいた場所は、アルメニアカトリックの教会。

第4留、「苦悩の母マリア教会」はすぐ右側にある。この場所で母マリアは十字架を背負ったイエスが通り過ぎるのを見る。

苦悩の母マリア教会

第五留、キレネ人シモンがイエスの代わりに十字架を背負った場所。「そこへ、アレキサンデルとルポスとの父シモンというクレネ人が、郊外からきて通りかかったので、人々はイエスの十字架を無理に負わせた。」マルコによる福音書15:21

第6留、「ベロニカ教会」ベロニカという女性がイエスの顔を拭くと、そのハンカチにイエスの顔が浮き上がった。このベロニカはマタイによる福音書に出てくる。長年出血する病気で苦しんでいた女性がイエスの衣類を触れることで治ると信じ、すがりつくようにイエスの元へ行き、衣類に触れることで病気を癒してもらうことができたという女性だと言われている。

第7留、イエスが再び倒れた場所。イエスの時代、この場所にはゴルゴダの丘へとつながる「裁きの門」という門があり、イエスの罪状書きがこの辺りに張り付けられたとされる。

第8留 、イエスがエルサレムの婦人たちに語りかけた場所。嘆き悲しむ婦人たちに「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。」と慰めた場所とされる。

この留のマークとなっているのは、IC-XC NI-KAと書かれた石。「勝利者イエスキリスト」をギリシャ語であらわしている。

IC-XC NI-KA

再び市場に戻り、次のロケーションに向かうが、次が第9留が少し分かりにくかった。この画像の左手に見える階段を上がって、道なりにそのまま進んで右に曲がって左に曲がる。奥までいくと見つかる。

第9留、三度目につまずいた場所。聖墳墓コプト教会の入り口。

ここにも不思議写真。空に輪っかが写ってる。

左の柱の十字架が、イエスが3度目に倒れた場所とされる。この左手にあるドアから、聖墳墓教会の中庭に入れるらしい。

コプト正教会

第10留、イエスが衣服をはぎ取られた場所は、この聖墳墓教会の外部、左手にある聖堂。

11、12、13と教会内で、第14留が今朝に訪れたイエスの墓で締めくくることになる。

どんなに辛かったのか、長い道のりである。その思いを分かち合うために、2000年以上たった今でもこんなに人が集まるのだ。計り知れない大きな影響。キリスト教信者ではなくても、この見えない魂に圧倒される。

引き続き旧市街南側のシオン門から抜けて、シオンの丘方面へ。

あっという間に18時、エルサレムだけで4泊5日とっていたのに、旧市街だけでもまだまだ行きつくせていない。

この見事なマリア永眠教会は17時までだ。横目で見ながら先に急ぐ。

どうしても行きたかったところがあるのだ。

ここが最後の晩餐の部屋。イエスが処刑される前日に、弟子たちを集めて最後の晩餐を行った場所。

最後の晩餐の部屋 Coenaculum

この最後の晩餐では、イエスが預言したことは、使徒の一人であるユダがイエスを裏切ること、使徒達が苦難に逃げてしまうこと、ペトロは鶏が鳴く前に、三度「キリストを知らない」と嘘をつくことを預言する。

キリストはパンとぶどう酒を弟子に与え、それぞれを人類の罪のゆるしのため、その犠牲として十字架につけられる自分のからだ、流される血であるとした。

この部屋はダビデの墓の上階となっており、この階段は墓へと続いているが、扉が閉じられている。外の階段から行けるそう。

こちらはミフラーブ、モスクにある礼拝するため場所でメッカとメディナに向いている。以前ここはイスラム寺院として使われていたのだ。

この建物は複雑な歴史があり、ビザンチン時代はマリア永眠教会の一部であったのを、後に十字軍が分離し、ダビデの墓とつないだ。1333年にはフランシスコ会が購入したが、イスラムに追い出されてしまう。現在はダビデの墓がある下の階は、シナゴーグでユダヤの聖域。これほどこの地を惹きつける要素は何なのだろう。

この建物の上に行くと素晴らしい見晴らし。

マリア永眠教会(右)と鐘塔(左)
バルコニーからみるオリーブ山

時間がなくて屋根しか見えなかったが、鶏鳴教会。聖書のペテロの三度の否認で知られる場所。ユダの裏切りによって捕えられたイエスが、夜を明かした牢獄があった場所で、イエスが捕らえられた際、自分に被害が及ぶのを避けて、弟子のペテロがイエスのことを「そんな人は知らない」と否認してしまう。イエスはこうなることを予言していて、ペテロに以前に「にわとりが鳴く前に三度私を知らないと言うであろう」とペテロに伝えていた。ペテロが3度にわたって「知らない」と嘘をついた時、イエスが言ったとおり鶏が鳴き、ペテロはイエスの言葉を思い出し号泣する。


そして残りの時間で、もう一軒。こちらも教会内が開いてる時間が限られているので外観だけだが、エルサレムで一番美しい宗教建築といわれるアルメニア正教会の聖ヤコブ大聖堂。12使徒のひとり、ゼベダイの子ヤコブが殉教したとされる場所に11世紀に建てられた。イエスの弟にあたるヤコブも祀られている。

正面の壁に描かれているのは、最後の審判。

中は大変美しいそうだが、外観も美しい。

アルメニア正教独特の十字架、ハチュカルという石の彫刻。色が黒と赤なのは、元々の石の色。

帰りはマミラモールというショッピングストリートを通り宿に帰る。ブランド系が多くおしゃれなお店が並んでいるが、通り沿いには芸術的な彫刻オブジェがたくさん飾られていて、それをみるのが楽しい。

そしてよしおちゃんのエルサレム最後の晩餐はマハネ・イェフダー市場内の人気のお店、Pepito'sへ。ワカモレと野菜たっぷりのラテンアメリカのラップサンドをテイクアウト。

地ビール、JEM’sのアンバーエールはかなりツボ。

2本目は・・・読めない。おっさんラベル。

丸まる4日あったのに、なんでこんなに忙しいのん?全く足りない。あっという間。明日は移動。刺激が強すぎて、色々興奮し過ぎた。ほんま楽し過ぎた。もっとここに居たい。。。