今まで勉強をしてこなかったアホ中年がようやく勉強の楽しさに気づく

「大学を卒業しました」と言える・・・この目的だけで、高い学費を払って大学にいった。

それまで英語以外一切勉強してこなかった。英語以外勉強しないということは、まともな知識がないということなのだ。

そんな自分の常識のなさに気付いたのは40歳の時だった。

お兄さんやお姉さんがいて、自分が妹や弟である場合、兄姉を見て身近に成功例や失敗例を学べるから、末っ子は大人になって成功しやすいと聞く。

私の場合、一人っ子なので、兄姉から何かを学ぶという機会がなかったし、親は「超意識低い系」の人間なので、私に「勉強しろ」「本を読め」「運動しろ」など一切言わなかった。本人が今までしてこなかったから、大切さに気付いていなかったんだと思う。

だから身近なロールモデルが不在なまま、長年生きてきてしまった。

何百ページも小さな文字が一杯かかれた本を読むなんて、あり得ない。

仕事に必要でない、イコール、お金にならないことを学ぶような勉強なんてやっても時間の無駄やろ。

運動したらしんどいやん。お金にならんことで無駄な体力使う必要ない。

今では毎朝6キロ以上のジョギングをしているが、子供のころは日本中の歩道がすべてが「歩く歩道」でできていて、歩く必要がなくなればいいのにと思っていたし、体育の授業なんかしんどいから、自分が病気だったらいいのにとさえ思っていた。

とりあえず大学さえ卒業しておけば「大卒」と言えるし、その方が人生楽そうに感じた。入学したら一切勉強する必要ないし。

昔から洋楽が好きで、英語に慣れ親しんでいたから、入試に受かったという程度。

親からは一言も大学に行くべきとは言われなかったし、子供のころ暗記でブツブツ唱えてたら「うるさい!」と怒るような人なので応援するハズもない。

学生の頃はそんな風に「意識底辺系」だったが、自分としてはとりあえず大学は行っとくべきと思っていたので大学にいった。なので学費は自分でなんとかせねばならんかった。

うちは裕福な家庭ではなかったので、私は高校時代からバイトをしてお金を稼いでいたのだが、これもその後の数十年の不毛期間の原因の一つだったと思う。

毎日バイトに明け暮れて、深夜遅くまでバイト先に入り浸るせいで、朝は起きられず、勉強どころか高校に通うのも辛く、勉強どころではなかった。

趣味的に習得していた英語だけ成績が良かったので、高校3年の夏から、推薦入試までの数か月間、英語だけ集中的に勉強した。もちろん塾に行くような金もないのでひたすら自習のみ。ただ他の教科を勉強するのは時間の無駄と感じ、学校の授業中、どの教科でも、ひたすら内職で英語の問題集を勉強していた。

そして辛うじて、英語だけ成績がよければ受験できる大学の推薦入学試験に一発目で受かった。試験科目は英語と面接のみだったのだ。

しかし受験の日はとにかく強烈に緊張して、問題用紙に目を通しても、全く頭に入らないという状況だった。

この極度の緊張の原因が、「この試験に落ちたら、また次に入試を受けるために受験料を払わねばならない」という、非常にアホらしい理由だった。

しかし当時の私は、受験料の35000円を払うのがきつかった。とりあえずここで落ちたら次は数を打たねばならんから、一体どれだけの出費になるのか。その費用を自分ですべてまかなわねばならんということが、ずっと頭の中で渦巻いていて、もう全く問題用紙が頭に入らないのだ。

気付いたら試験終了時間が間近になっていた。

長文がまったく頭に入ってこないのに、時間がない。解答だけなら短文なのでまだ頭に入ってきた。なので解答の箇所だけを読んで「これはおかしいやろ」という設問を外して解答していった。

そしてその後の面接も、あまりの緊張で、試験官が「お座りください」と言っているのに、身体が硬直して膝が全く曲がらず、椅子に座れないという状態にまでなっていた。

無理やり身体を椅子になだれ込むように、なんとか椅子に座り込む次第だった。なので素直に緊張していることを面接官に英語で伝えていたと思う。しかし私と一緒に面接を受けた女の子には、私がそこまで緊張していたことが分からなかったと言っていた。

受験のコンディションはこのように散々だったし、これからどんどん受験料がかさむなあ・・・とショックを受けていたのだが、なぜか合格通知がポストに入っていた。

実際のところ、受験勉強を始める前、私が受験した大学の赤本をチェックしたところ、 既に合格点は取れていたので、受験慣れさえしていれば、なんでもなかったんだと思う。

まあその後は色々と工面して大学の学費を払わなければならない訳だが、いずれにしろ大学に行っても勉強する時間はない。短時間でも稼げる水商売の仕事をしていたが、夜が遅く、また学校は家から遠く朝が早いので、クタクタでどうしようもないほどだった。

それ以上に勉強することに全く興味はなかった。

それよりも自分が今大学生であるという身分を享受していることだけで満足していた。

せっかくあんなに高い学費を払っているのに、今となっては、アホらしいとしか思えない。

今ならネットで色んな情報が入るので、他に色んな手段を知ることができるが、当時は有益な情報も得られず、まわりにもアドバイスしてくれるようなマトモな人間もいないし、 ひたすら自分が信じる道を進むのみだった。

いや、ほんま貧乏って損や。

大学卒業後はとにかくお金を稼ぐこと、物欲のために生きていた。

36歳、仕事のストレスから一人旅を始めたのが転機となり、そこから周りの世界が変わった。

その最初の一人旅で、今となっては別に大したことではないのだが、ユーラシア大陸の最西端、ポルトガルのロカ岬に到達したとき、自分一人でここまで来ることができたという達成感から、自分の人生は自分の力で変えられると気付いた。

そして40歳で留学し、周りにいる人たちが、みんな若くして聡明で知識が豊富で、そんな彼らに接することから、世界が更に急激に変わっていった。

ここでやっと自分の現実を知った。 私はどれだけ知識がなかったか。どれだけ勉強をおろそかにしてきたか。

今ならある程度やりたいことは自分の意志でできるし、不必要に高いものを買いたいとも思わなくなったので、知識という無形のものを得るために、お金を有意義に使おうと思える。

何かに興味を持ちだして、深く追求していき、そこから派生して別のものに興味が生まれ、それぞれで得た知識の点と点が繋がったとき、勉強する楽しみに気付いた。

しかし気づいたのは既に40過ぎ。もう中年。

学生の時に 勉強の楽しさに気づいていたら、もっと道が開けて、人生が変わっていたかもしれない。

しかし今思うのは、私は「それなりに自由である」ことが、唯一の救いと言えるると思う。

子供のころから、良い方向に導き、アドバイスしてくれる、先生や家族に恵まれることなく、ほっておかれたわけだが、その分、ただ自由だけはあったのだ。

結婚しても相方は私が何を言おうと殆ど反対しない人なので自由なのだ。誰も反対しないので40歳になって留学ができたわけだ。

今になって本を読むのが楽しくなり、勉強すること、そして運動することの楽しさとメリットを知った。

本をもっと読みたい。もっと勉強したい。しかし時間には限りがある。あとはいかに自分の時間をコントロールしていけるか。

40年近く無駄に過ごしてきた分、 自分の意志で自由に動けるうち、力があるうちにと、 今はとにかくひたすら走り続けている。

人に頼らず自分で解決する力を身に付けて、生きてて良かったって思える人生にしなければ。