私はキリスト教信者ではないのだが、以前から聖書にずっと興味があった。キリスト教だけではなく、宗教そのものに興味がある。一人旅、留学中に出会った様々な国の人たちを、違う立場から理解したいと思ったからだ。
その中でも特に8年前に留学していた時や、何かの文書を翻訳をしている時など、聖書を読んでいないと分からないエピソードが出てくることが多々あった。国外のネットのカキコミやFacebookなどにおいても、聖書を知っていたら分かるネタなどが出てくることもある。これまで美術館で観てきた絵画にしても、聖書を読んでいれば、ありがたみがもっとわかっていたはず。イスラエルに行くには、少しでも聖書をかじっておこうと思い、浅くではあるが頭に入れておいた。
イスラエル5日目は、引き続き ガリラヤ湖沿いの、イエスの足跡を辿るのだが、聖書のストーリーがリアルに広がり、興奮度が一層高まった。聖書は信者ではなくても素晴らしい文書。ここに来るなら、よければ少しだけだも聖書に触れてみてね。
朝6時、目を覚ますと、窓の外は朝焼けが見える。今日もええ天気!
これからバスでガリラヤ湖を北上し、イエスがナザレを去ったあと暮らしていたカペナウム方面に向かう。
ゴランバス52番、一昨日マグダラに行った時と同じ番号のバス。地球の歩き方では、「ティベリアからカペナウムに行く52番バスは、午前中は8:45発のみ」と書かれているが、実際は7:40発もあった(2019年5月)。早く着いたほうがゆっくりできるよ。
バス出発まで少し時間があるので、イスラエルのプリペイド交通カードRavKavカードに50シェケル程お金をチャージしておいた。ここまで結構バスを使ってきたので、残りのクレジットもすぐに使ってしまいそう。ティベリアセントラルバスステーションにはプラットホーム沿いの売店の並びに RavKavカードのクレジットが入れられる有人窓口があるので、機械の使い方で悩むことなくスムーズにチャージしてもらえる。
7:40定刻通りバスは出発。
この52番バス、ホンマ景色が絶景過ぎて、バスに乗っているだけでも幸せ。
もっと乗っていたいところやが、あっという間にバス停に到着。バス停はカペナウムを超えてしばらくしたところにある。
バスを降り、カペナウムに向かう前に、ピンクの屋根のギリシャ正教会(12使徒教会)へ向かう。
バスを降り、進行方向から少し戻ると、すぐに左側に曲がる車道があるので、そこを曲がりしばらく進むと、右へ行く道があり、そこを曲がると、ピンクの屋根のギリシア正教会が見えてくる。
イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。
(マタイ4:23)
教会に近づこうとすると、左手になにやら気配が・・・
ぴゃーーーーっ!なんですのん?!
孔雀に挨拶し、その後教会に進むが、朝早過ぎたので教会はまだ空いていなかった。しかしすぐそばに公園があり、桟橋まで行けるのでそちらに進む。
と、 なんだチミは・・・。
最初はナキウサギかと思っていた。後でたまたま分かったのだが、この生き物、ハイラックスという名前やそうな。
イワダヌキ目ハイラックス科、Hyrax。トヨタ車HILUXはスペルが違う。旧約聖書にも出てくる動物で「 高い山は野やぎのため、岩は岩だぬきの隠れ場」「岩だぬきは強くないが、すみかを岩につくる」と、この岩たぬきが、ロックハイラックスのこと。「小さいが非常に賢いもの4つ」の内の一つなんやそうな!
桟橋からガリラヤ湖を眺めるだけで心が癒される。静かであまりにも平和。
イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。 弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。
(マタイ14:25~27)
思わず時間を忘れてしまう。教会へ進むと、Christ's Thorn Jujube(キリストノイバラ)の木が生えている。
一説によるとイエスが磔刑前に頭に載せられたいばらの冠が、この植物から作られたと言われている。実は食べられるがあまりおいしくないんだそう。。。
ガリラヤの美しさに見とれていたら、教会の門はとっくに開いておった。。。
この教会は、1931年に古代ローマの村カペナウムの地に建てられた。教会の周りには、発掘されていない遺跡がまだまだ残っている。
こちらのギリシア正教会は「The Greek Orthodox Church of the Twelve Apostlesが12使徒教会」が正式名称で、12人の使徒を讃えた教会。イエスの12人の使徒の内、ペトロ、ゼベダイの子ヤコブ、アンデレ、ヨハネ、徴税人のマタイはこの辺り、カペナウムの出身。
隣接するお庭も素晴らしい。
この中庭にもたくさんの孔雀がいる。
猫もたくさん!
この教会一番のフレンドリー猫。
色んな動物が平和に暮らしている。教会の裏ではピクニックをしている人たちもいて、のどかな雰囲気。
さて次の場所へと思い、立ち去ろうとすると注意書きがあった。
「静かに」、「ゴミはゴミ箱に」、「水着や短パンで来るなよ」、「犬は連れてきちゃだめ」、「草花を抜いちゃだめ」うん。わかるぞっ。
で、銃はダメ。。。
せ・・・せやで。
12使徒教会の敷地から、カペナウムの遺跡群が見え、すぐに行けそうに見えるのだが、直接通じる道がない。なので一旦バスが通っていた国道に戻ってから、しばらくカペナウムの入り口に方面に向かう道まで歩く。
道中ひたすら動物ばかりで人を見なかったのに、カペナウムに着くと、人がわんさか。みんなツアーバスで来ている様子。
カペナウムは新約聖書に登場する町、イエスによるガリラヤ宣教の中心の町。その歴史はさらに遡り、ハスモン朝時代に漁村ができ、紀元前2世紀からから人が住み、749年の大地震後の再建を経て、11世紀、十字軍の遠征するころに廃墟となった。そして19世紀から遺跡の発掘が始まった。
カペナウムの語源は、Kfar Nahum、「慰めの村」を意味するが、現在はこの言葉が派生してcapharnaum、ものがめちゃくちゃに寄せ集められた混乱した場所、という意味でも使われているらしい。
まずはユダヤ教にちなんだ模様が浮き彫りにされた石柱などが並んでいる。
さらに進むと、白い石灰岩で作られた壮大なシナゴーグ跡が広がる。元は2階建てのシナゴーグで、4世紀か5世紀ごろ建築とされる。
1926年からフランシスコ会がシナゴーグの修復作業を始めた。
この白いシナゴーグの基礎の下に、玄武岩で作られたもう一つの基礎が見られる。こちらが1世紀のシナゴーグの基礎で。福音書で述べられているものではないかと推測されている。つまりイエスが説教したシナゴーグである。
イエスは30年暮らしていた故郷のナザレを離れ、ここカペナウムに住み、宣教し、様々な奇跡が行われたたことで知られる。
そしてナザレを去り、ゼブルンとナフタリとの地方にある海べの町カペナウムに行って住まわれた。
(マタイによる福音書4:13)
それから、彼らはカペナウムに行った。そして安息日にすぐ、イエスは会堂にはいって教えられた。
マルコによる福音書1:21
それから会堂を出るとすぐ、ヤコブとヨハネとを連れて、シモンとアンデレとの家にはいって行かれた。
マルコによる福音書1:29
それから、イエスはペテロの家にはいって行かれ、そのしゅうとめが熱病で、床についているのをごらんになった。
そこで、その手にさわられると、熱が引いた。そして女は起きあがってイエスをもてなした。
夕暮になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れてきたので、イエスはみ言葉をもって霊どもを追い出し、病人をことごとくおいやしになった。これは、預言者イザヤによって「彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた」と言われた言葉が成就するためである。
マタイ8:14~17
そのペテロの家がシナゴーグ跡の隣にあり、建物内部中央にあるガラスの床の底に、八角形の5世紀の教会の跡が見える。
もとは紀元前1世紀に民家があり、4世紀初めまで使用されていた。それが5世紀半ばに八角形の教会となる。おそらくここは元々漁師ペトロの家であったため、ペトロをあがめ、ここに教会をたてたと考えられている。
カペナウムの遺跡を後にし、次へ向かうはタブハという村。湖沿いの歩道を歩いていく。
途中で旧約聖書のヨブ記に出てくるヨブが、皮膚病にかかり手を浸した言われる「ヨブの泉」Ein Eyov (Job's spring)がある。ヨブは、誰からも尊敬され、神からも義人と思われる程の人であったが、サタンはその忠誠心を試そうと、ヨブを皮膚病にかからせた。忍耐強く忠誠心をもちつづけた為、病気は治され、140歳まで生きたという。
通り沿いにある緑の看板のところから入っていけるのだが・・・
どうやらこの水の中を歩いていかねばならないようで、私にはスニーカーをボトボトして水の中を歩く勇気がなかった。
しかし、横道から滝が湧いているところが見えた。
近づいても逃げていかない忍耐強いトカゲくん。長生きしそうだ。
そしてペテロ首位権の教会にたどり着く。
ここがイエスが漁師ペテロとアンデレ兄弟に出会ったという場所。
さて、イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、ふたりの兄弟、すなわち、ペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが、海に網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。
マタイによる福音書4:18~20
イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。
すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。
十二使徒の中でも筆頭格にいたペテロだが、首位権を確立するのは、イエスの死後のことだった。
イエスが死人の中からよみがえったのち、弟子たちにあらわれたのは、これで既に三度目である。
ヨハネによる福音書21:14~18
彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。
またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。
イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。
ペテロ首位権の教会の中には、復活したイエスが弟子たちに食事を与えたという食卓、メンザクリスティが祭壇となっている。
夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。
ヨハネによる福音書 21:4~12
イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか」。彼らは「ありません」と答えた。
すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。
イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言った。シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ。
しかし、ほかの弟子たちは舟に乗ったまま、魚のはいっている網を引きながら帰って行った。陸からはあまり遠くない五十間ほどの所にいたからである。
彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあって、その上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった。
イエスは彼らに言われた、「今とった魚を少し持ってきなさい」。
シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた。そんなに多かったが、網はさけないでいた。
イエスは彼らに言われた、「さあ、朝の食事をしなさい」。弟子たちは、主であることがわかっていたので、だれも「あなたはどなたですか」と進んで尋ねる者がなかった。
イエスはそこにきて、パンをとり彼らに与え、また魚も同じようにされた。
たくさんの信者がこのメンザクリスティに触れ写真を撮っていた。思わず私も人の間をぬって触れさせていただいた。
左手に居たお兄さんが、自撮りをし、何か唱えている。何語か分からない。そして彼は私を見て「クリスチャンですか?」と尋ねた。私は「そうではないんですが、聖書の話しが大好きなんです。」と答えた。
その彼はベトナムから来たクリスチャンだそうな。他の信者とともにこの地を巡礼しているとのこと。他の信者も来て、私を紹介してくれた。なぜか記念撮影を撮ることに。
イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。
マタイ14:25~33
弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。
しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。
するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。
イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。
しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。
イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。
ふたりが舟に乗り込むと、風はやんでしまった。
舟の中にいた者たちはイエスを拝して、「ほんとうに、あなたは神の子です」と言った。
今朝であったロックハイラックスくん、この教会の敷地で紹介されていて、その名を知ったのだ。
引き続き次の場所へと移動。パンの奇蹟の教会へ。
イエスが二匹の魚と五つのパンを増やして、5000人を満腹にさせたという奇跡にちなむ教会。日本語では「パンの奇蹟の教会」英語では、Church of Multiplication of the Loaves and the Fishes、Church of Heptapegon とも呼ばれている。350年に教会が建てられており、それが20世紀に発掘再建されカトリックベネディクト会の修道院となった。
祭壇の近くに「5つのパンと2匹の魚」がモザイクで描かれている。
弟子たちは言った、「わたしたちはここに、パン五つと魚二ひきしか持っていません」。イエスは言われた、「それをここに持ってきなさい」。そして群衆に命じて、草の上にすわらせ、五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡された。弟子たちはそれを群衆に与えた。みんなの者は食べて満腹した。パンくずの残りを集めると、十二のかごにいっぱいになった。
マタイ14:16~20
会堂にはビザンツ時代の2匹の魚とパンのモザイクだけでなく、蛇、鳥、様々な種類の草花が床に描かれている。
次は山の上の教会へ進む。近道は山道ルート。「ヨブの泉」の入り口まで戻り、道を渡って向かい側にあるこの階段からルートが始まる。
道は少しわかりにくいが、見通しも良く、それほど険しくない。足場も悪くない。
何より後ろを振り向くと、こんなにキレイだもん。
サトウキビ畑の間を通る。暑いなあ…。まだかなあ。上までたどり着いたみたいだけど、なかなか教会までたどり着かない。
ようやく見えてきた!
ここが入り口!と思いきや、こちらは閉まっている。正面入り口はまだ先にある。
毎度のことやが誰にも出くわさないので不安になる。こちらが正面で、大きなガレージもあり、中には人がたくさんいるわけだが・・・。
遠くにカペナウムも見える。
八角形の教会は、1936~1938年にかけて建てられたフランシスコ会の教会。八角形は「八つの祝福」を象徴している。
この山の上で、イエスは山上の垂訓を弟子たちと群集に語った。
こころの貧しい人たちは、さいわいである、
マタイ 5:3~10
天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、
彼らは慰められるであろう。
柔和な人たちは、さいわいである、
彼らは地を受けつぐであろう。
義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、
彼らは飽き足りるようになるであろう。
あわれみ深い人たちは、さいわいである、
彼らはあわれみを受けるであろう。
心の清い人たちは、さいわいである、
彼らは神を見るであろう。
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、
彼らは神の子と呼ばれるであろう。
義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、
天国は彼らのものである。
マタイによる福音書の第5章から7章にわたる長い説教はここで行れたと言われてている。イエスの思想や教義の最も重要な部分がここで語れたそう。
またイエスが12使徒を選んだのもここ。
気温は37℃。カラッとしている。暑い日にフローズンがうまい!
さて、宿に帰る時間。ひたすら誰もいない道をバス停まで歩く。
日陰がない。。。バスは1時間に一本なので、逃したらわしゃドライビーフになってしまうぞ。
バスは少し遅れたが、無事来てくれた。帰りの541番のバスは、ティベリアの宿のすぐ近くのバス停まで行ってくれる。
17時前に宿に着き、預かってもらっていた荷物を受け取りちょっと休憩させてもらう。今からエルサレムにバスで移動するのだが、エルサレムへのバスも宿の近くのバス停から出ているので、わざわざセントラルステーションまで行かなくてもよい。
宿を出て現金を引き出しておこうと思い近くのATMで操作をしたが、機械がやけどしそうなくらい熱くなっていた。大丈夫やろうか・・・。
お金を引き出した後、2人のおっちゃんが来て、ATMの使い方がわからんよううで、私にクレジットカードを手渡して、どうしたらいいか聞いてきた。結局エラーで引き出せなかったんやけど、このおっちゃん、人にカード預けても平気なのね!
宿から近いバス停で、エルサレム行き962番の17:34発のバスを待つ(2019年5月)。180kmくらいで結構長距離を2時間強でたどり着ける。37.50シェケルだから1300円くらい。バス(だけ)は安い。
19:40頃エルサレムセントラルステーションに到着。建物の3階がバスターミナルになっている。荷物をトランクから出して、ターミナルの建物から脱出し宿へと向かう。
エルサレムはAirbnbで押さえていたアパートの一室の中の一部屋。部屋のオーナーは忙しいのでチェックインに立ち会えないとのこと。メッセージのやり取りで、鍵のありかを教えてもらい、勝手に入室方式で、何とか部屋にたどり着く。
ドアを開けるともう一人、別の部屋の宿泊者がいた。ロバートという オランダ人の 学生。もう何週間かエルサレムに居るそうで、水道の使い方からキッチン、部屋の使い方まで、何もかも先輩のように教えてくれた。
私の部屋に入ると照明が点かない。ロバート先輩に尋ねると、電球が切れていると。ロバート先輩 の部屋で使っていたスタンドの電球を外して交換してくれた。ていうかね、背がめっちゃくちゃ高くて余裕で天井の電球まで手が届くのだ。
日本にも4週間ほど旅していたというロバート先輩。日本人からあまりに背が高いから、記念撮影をお願いされたと言う。「なんか有名人になったみたいだった」と。
大学の研究の関係でエルサレムに長期間滞在しているとのことで、イスラエルの人について、こう話していた。
だからわしゃたまに日本にいるのがしんどくなるんだ。
ロバート先輩にスーパーの場所を教えてもらい、買い物に出かける。が、案の定全てヘブライ語なので何を買うべきやらもう訳がわからなくなって、とりあえずビールと、果物と、謎のヨーグルトのようなものと、謎のお菓子を買う。
夜ご飯どうしよう・・・・。と帰り道、夜も大賑わいのMahane Yehuda Marketという市場があったので、ピザを買って帰った。
マッシュルームのピザうまし。
旅行中は何かとビールに炭水化物フェアー。それおでもエネルギー全開になれるのが不思議だ。
しかしよく歩いたのでベッドで即落ち。おやすみなさい。。。