このブログの管理人よしおちゃんは、人前に出るような仕事をしていたのもあり、周りには外向的な人だと思われる。しかし実はかなりのコミュ障だ。
多分中学の頃からだったと思う。グループにいるのが苦痛になった。まわりのクラスメートと趣味や好きな音楽など全く違うし、みんなが楽しんでいることが、何が楽しいのか理解できなかった。高校の時は完璧にぼっちになった。大学の頃からこれではアカンと、みんなと合わせようとしてみたが、無理している感があった。大人になってからも人と話しを合わせるために見たくもないテレビ番組を観たり、好きでもないカラオケを歌ったり、テーマパークなどクソほどつまらんと思ってるのに楽しんでるフリをしたり。
なんでみんなと同じようにしないとダメなんだろう。なんで「その歳ならこうすべき、ああすべき」とか決められなきゃいけないんだろう。「女子旅」とか「カメラ女子」とか「山ガール」とか、なんでいちいち「女子」とか「ガール」とかつけて分けるんだろう。くだらん。
32歳の頃、引っ越しをキッカケにTVのアンテナを繋ぐのをやめた。それから16年ほぼテレビは見ていない。くだらん番組を見る為にテレビの前にじっとしていることが強烈に辛い。すると、ますます人と話しが合わなくなった。
比較的だいぶ年上の人や年配の人とは気兼ねなく話せるのだが、特に同年代と話すのが辛く、食事や呑みに行ったもんなら、次の日寝込んでしまうような状態だった。
しかし36歳から一人旅を始め別人格が生まれた。ぼっち旅で人生が変わった。人嫌いのハズが、自分から積極的に知らない人に話しかけるようになり、旅先で地元の人や旅人と話しができるのが楽しくてたまらなくなった。知らない人から話しかけられることも多くなった。
40歳で留学をしたとき、今も仲良くしている22歳下のスイス人の友達ができた。彼女は私を22歳年上の人と見ず、対等に話せる友達となった。みんな40代なのに留学してとか、そんな服着てとか言うような人はいない。なんだかすごく心地よかった。
その後も一人旅を続けているが、旅先で出会った人と呑みに行ったり、どこかに出かけたりしても、いつも日本で人と接するときに感じるような、緊張感や変な気遣いがなく、好きなこと、自分が思うことが話せて、自然で居られるようになった。
みんな違って当たり前だから、違うことを指摘されない。だから心地いいんだと気付いた。
相変わらず日本では、コミュ障のままで、かなりの引きこもり状態だが、無理しないでおこうと思う。グループの中でしんどい思いをしてる時間が勿体ない。自分の好きな人とだけ付き合えばいい。合う人がいなければ、ぼっちでええねん。ぼっちの時も十分楽しい。思うままに自然に任せるんや。